晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

0925 みんなどうせ結婚していくんだろ

ヴィレヴァンで働いていた時は決まった時間に休憩を取っていた。朝にワーキングスケジュール、ワースケをつくり、「休」の字を丸で囲んだ決められた1時間が休憩時間だった。今の飲食店は暇や手隙になったら休憩を回す、というやり方で、土日は特に、休憩できるかどうか、回せるかどうかをハラハラバタバタドキドキジタバタ、としながらなんとかやっていく。今日は15時に休憩をもらうことができた。そのふう、と近くの公園のベンチに座って一息ついた時、近づいてきたきれいなお姉さんに絶妙な視線を向けられ、なんだ?と思いながらも微笑み返したら後々思い返してみるとさっき店に来ていたお客さんだったことに気付き、反省。忙しいと目の前のことをこなすことに精一杯で、お客さんの顔を見ているようで見ていなかったりする。惜しいことをした。「あー!さっき店に来てくれましたよね」なんてにこやかに言えれば常連になってくれたりしたかもしれないのに。あのお姉さんの立場になって考えても、なんか若干でもモヤついてしまうな、と、ため息をその時はハァ、とついた。





今年で26歳になった。周りの友人ももちろんそれだけ歳をとっていく。歳をとって、どんどん次々に結婚していく。しまいには子供を産んでもう2歳だ3歳だなんだ、とインスタのストーリーにあげている人も全然、むしろたくさん居るように感じられて、とはいえ別にだからと言って自分はどうして……だなんて今まで実はあんまり思ってこなかった。彼女たちには彼女たちの人生、生き方、暮らし方、未来があり、わたしにはわたしのそれらがあるだけだし、むしろ「結婚向いてないからわたしはもうしないかもなあ」なんて思っていたりなんかもしていたくらいで。猫買おうかな、なんて前回か前々回かにブログを書いたばっかりでもあるし。




それが何故か、今、自分の近くにいて時々遊んだりしているまだ結婚していない友人たちが続々と結婚していくことを考えたら、急に、どんより落ち込んでしまっていて。これは落ち込んでいるのか?え、なんで落ち込むんだ、と考えてみたら、落ち込むというよりも、どうやら、“寂しい”、という感情らしかった。その「寂しいかも」という話をしたのがほんとうに昨日のことなのだが、2日間も引きずっている。みんなどうせどんどこ結婚していくんだろ、とやさぐれてさえもいる。この、変な “寂しさ” 。最近、「酒ってさ、百害あって一利なしやで、ほんまに」と言われたが、むしろ寂しいという感情こそ百害あって一利なしだと思ったりする、この妙な、そして嫌な “寂しさ”。でも確かに、結婚をせずして誰かとずっとこの先も一緒にいる、というのは圧倒的に不可能だろう?という話、なだけなのかもしれない。たとえいつまでも友人関係で居られたとしても、それはもう、学生だったあの頃、マクドやファミレスでひたすらだべるだけだった純粋なあの時間、あの瞬間に到底なりはしない。わたしもわたしで「結婚してるんだし」「子供いるんだし」と早めに帰るように促す気遣いを意識的にも無意識的にもしてしまうことだろう。




友情はいつだって恋愛には勝てない。恋愛にはないなにかが友情にあることはあるだろうけれど、結局総数で見ると絶対的になにも勝てしやない、なにも勝るものがない。いつだって後回しで、恋だ愛だ好きだ愛してるなんかより優先されることはきっとない、そういうもの。だってただの情だから。ただの情が、 愛なんかに勝るわけがない。情だけで誰かを繋ぎ止め続けたいと思うのはきっとそれは傲慢で、それはたぶん、大人じゃないし。結婚だけが人生のゴールではないこともよくよく分かっているしそういう時代の風潮だってあるけれど、でもだからといって此方側の人間がわざわざ結婚していく人達のことを虫けらを見るような目で見たり蔑んだりできる訳では到底ないし。同じ世界で生きているから、どうにか折り合いをつけなければいけない、そういうものだ。知っている。そういうものだとわたしだって知っている、もう26歳だ、知ってるに決まってる。それでも何故か、何故か無性にどうにかこの友情が、この情だけが末永く続いてくれるだけでいいのに、と。何も変わらないままで居られないこともわかっているけど、それでも何も変わらないままで居たいんだよな、と矛盾にも、そして強欲にも、そう思ってしまう。





みんなどうせいつかは結婚していく。どうせいつか結婚して、子供を産んで、その子供もすごい速度で成長していったりする。いつのまにか学生時代にある程度の勝手なイメージを膨らませていた20代後半、30代、そして40代になり、そしてそんな淡く幼い学生時代とは全く別物の世界を形成していく。わたしはその時なにをしているだろうか。彼ら彼女らの結婚を心より祝福し、涙し、家で待つ愛猫のためにコンビニで颯爽とビールを買って帰る、そんな日々を、無事に、なんてことのないように淡々と送ってくれていればいいけれど。わたしには未だに、自分がどこぞの誰かと結婚をしてそういう生活をする未来が、どうにも見えそうもない。もしや見えないから、寂しい、のだろうか?でもそんな寂しさなら、わたしは要らないのに。