晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

0811 月が綺麗

猫と暮らすこと、本気で考えようかなあ。そうなんとなく決めて口に出したりしてみたらなんとなく今までよりうっかり生きやすくなった気がして、「あ、未来があるってこういうこと?これだけ?」と呆気にとられているここ最近。今住んでる部屋があっという間にあと1年で2年の契約縛りを終えるので、それと同時に猫と暮らせたらいいなとただ、ただなんにも考え無しに思いついてぼんやりいいなあと思っているだけだったのに。それでも、ずっと今までモヤがかかったままだった見えない未来にぽん、と猫が浮かんでいるのが見える気がして、なぜかそれだけで自分の進むべき道が見えたかのような錯覚に陥っているので自分が簡単で安直な人間なだけなのか、実は人生なんてそんなもんなのかなんなのか。だって、未来なんて正直どうでもいいと思っていた。今を生きるのでずっとずっと精一杯で、それは死にたいと他力本願にでも願っていたあの日々をいつまでも引き摺っているだけのなんの生産性も産まない思考回路から来るもの。人間なんていつか死ぬ。今日明日明後日を生きるので精一杯なんだから未来なんてずっともっとどうだっていいと26年間、口にはあまり出してこなかったけど心の中にはずっとあった。だけど、たったこれだけで心が軽くなるような気がするなら、なんだ、今までの自分って全員馬鹿みたいじゃん、と自分で自分を笑ってしまうではないか。誰かもっと早く言ってくれたらよかったのに。でも上手い生き方なんて誰も教えてくれないんだよな。教えられても実践できなきゃ教えられたって言わないし。


岩見拓馬の『月が綺麗』をYouTubeで聴く。8月10日でちょうど30歳になった友人が「これいい曲なんだけどさ」とぼそり、と話していた曲だ。良すぎてなんだかちょっと笑ってしまう。いい歌を歌うならいい歌を見つけ出すのも上手いのか、なんて独り言を頭の中に浮かべていると心地いいギターのイントロが終わって歌が聴こえてくる。『いい気分で 線路沿い歩いて』の歌詞。ふ、と深夜1時にアイスを買いに行ったその日の夜が思い起こされて、4人の1番前を歩きながらわたしはそういえば空をぼんやり見上げていたな、と思い返す。でも、その日の夜の空に月はいなかった。そういう夜もあるんだよなーちょっと寂しいけど、なんて思いながらわたしはチョコモナカジャンボを買ったんだったっけ。30歳おめでとうね。いい30代になりますように。みんなでぼちぼちやってこ。わたしも猫を飼うまでは死ねないかもなあ。