晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

「自分は人に“かわいい”といつまで言い続けるのだろうか」と26歳になって考えてみた話②結論編(三人称雑談放送【第449回】を聞いて)

前回はこちら。別にただ「“かわいい”って推しとかにいつまで言い続けんだろうなー」って思い至ることになった経緯を真面目にだらだら書いているだけなので読んでも読まなくてもいいとは思うけど、「三人称雑談放送ってなに?三人称って誰よ」って人は読んでみてもいいかも。そんな詳しく書いてるわけじゃないけどちょっとは分かると、思う、たぶん。分かんなかったらそりゃそうだ、だろうけどYouTubeを見てくれ。おすすめは全部です(適当?)(見たやつはちょっと下にも書いてます)
tumzum.hateblo.jp




上の前回の記事を書いてからもわりと三人称の動画はぼちぼち見ている。RAFT とかいういかだを作って無人島を巡っていくゲームは28回分(1回だいたい30~50分くらい)、よ〜うやく全部見切ったし、the Forest とかいう変な若干気持ち悪めの生物が襲ってくる遭難ゲームのプレイリストもいつのまにか制覇してしまった。結末なんかけっこう怖かったな……と胸をドキドキとさせながら思っていたらまた別に続編があるらしいので、それももちろん見ようと思っていたりもする。あとは相変わらず鉄塔さんの深夜雑談を聞いたり、これまた鉄塔さんの深夜に急に始まるライブ配信をベットに横になりながら聞いたり。なんなら月額300円くらい?だろうか、それくらいを払ってメンバー限定の動画が見れたりするやつに登録なんかもして、ボドゲ回のちょっと長いやつが見れたりするのでそれを主にちょこっと見ようと思っていたりもする。これはまあ課金というか支援というか、無料で普段見させてもらっているのなんかあれだしちょっとはお金を……さあ……ねえ?という妙な後ろめたさから来る気持ちというか……まあつまりは相変わらず「あー三人称好きだなー」と思いながら動画を見ている、ということではあったりする。





そう、あれからもずっと見ているのだ。あんなにあの雑談配信で(勝手ながら)ウグッと胸にくるものがあったらしいのに、あれからひたすら時間が空いたり見る気になったりしたら、つい見てしまっているわたしがいる。そして相変わらず「好きだな」と思っているしその気持ちもちゃんとあるし、そしてたしかに時折「あーかわい(笑)」と思うことも普通にある。だから、あれ?そもそもなんの話がしたかったんだっけわたしって…… という状況になりながら②の結論編を必死に書こうとしていたりするのだけれど、そもそもの話。そもそもの話を言うと、なんだかこう言うと逆に気持ち悪く聞こえるかもしれないが、推している、好きである本人に「えへ、えへへへ、かわいいですね、大好きですゥ」というような人間では、わたしは毛頭ない。まあもちろんそれこそ好きなケーポドルに間近で愛嬌的に微笑まれちゃったりしたら「うはぁ、かんわい……」と心の声がついうっかり漏れちゃうこともあるだろうが、例えばもし三人称の御三方と直接なにか相対することがあったとしたらば、



「あの、げ、ゲーム実況とか今まで触れてこなかった人生だったんですけど、三人称さんのゲーム実況が今いっちばん好きでめちゃくちゃ見てます。大好きです。応援してます!ボドゲ会も大好きです!!」



って言うだろうし言いたいし(いや今は文章にしているので勝手に綺麗に添削されているだけで言葉にしたらたぶんアワワワワワ…しか言えないだろうけど)。というか普通に考えてそういう場で鉄塔さんに「うわ、今日のビジュ爆発してますね」とか言えるわけはないし言わない方が良さそうな気が、ちゃんとする。友達?親友?長年連れ添ったマネージャー?スタッフさん?そういうレベルならもしやもしやで言えるだろうけど、これは憶測でありきっとそうだろうが(え、そこじゃなくない?)と鉄塔さんは思うだろう、勿論心の中で。そこを悟ったり理解したりできるかどうかじゃないだろうか。ファンだ、好きだ、応援している、だからと言って自分の欲やそういうのに付随した性的な感情を彼らに直接的にぶつけることが彼らにとって不快であるということに、コメントやメールを送る前に気付いて踏みとどまれるかどうか、じゃないだろうか。



書いているうちに結論っぽい話ができてホッとしているのだけれど、きっとどのカルチャー、どの文化のなかでもそうなのだろう、いやきっとそうあった方がいいはず、と勝手になんだかふ、と思う。此方側も此方側で、ある種のカルチャーの一端を背負ってわたしたちになんらかの方法で届けてくれる彼ら彼女たちに “彼ら(彼女ら)が求めているであろう声” を届けるというのもきっと必要なことなのだろう、と。わたしたちはたしかに彼らが生み出すパフォーマンスを経て娯楽や快楽を受け取っているけれど、そのパフォーマンスを抜きにした彼等自身が何も感じない・何も見えない・何も聞こえないわけは絶対的にないし、何かを感じるし、見えるし聞こえるし、嬉しいとも言えるし嫌だとももちろん言えるわけであって。つい忘れてしまうだけなのだ。画面の向こうやこのコメントの向こうには生身の人間がいるのだということを、わたしたちはついうっかり頭から抜け落ちてしまう。言い訳がましいが、そういう世の中だからとせめて言わせてほしい。でも一瞬でも考えてみるとその言葉を今ぶつけようとしていたりもう既にぶつけてしまった相手は好きな人や気になる人で、そう考えると気付かぬ間に傷つけていたり悲しまれていたり、ましてや気持ち悪がられているだなんて、そんなの到底耐えられることじゃない。きつい。お互い辛い。なにもいいことがない。嬉しい楽しい大好きを共有したいだけなのに。それはあまりにも切ない。







自分は人に “かわいい” といつまで言い続けるのだろうか。26歳になっても人に “かわいい” だなんて言い続けていていいのか、なんて悩みのような、迷いのようなもの。それらに対する答えは、たぶん、


『自分はきっとこれからも人に “かわいい” って思い続けるし思い続けたいと思ってる。やめたくはないし多分やめられもしないと思う。だからその分、それを直接相手に伝えるか伝えないかは自分のなかでしっかり一瞬でも考えてから、そうしたならば、言い続けていたっていいんじゃないだろうか』


なんだろうな、と思う。あと友人も言ってくれたんだった。『非現実的になれる場所、存在、瞬間があることにものすごく救われる時がこの先もしかしたらあるかもしれない。だからかわいいって思える居場所があることはとっても素敵なことだと思うんだ』って。なんて良い言葉をわたしはもらってるんだ。そうだよ。わたしはずっと救われてきた。 “かわいい” って思える人たちやものやなにかに、ずっとずっと救われながら生きてきたんだった。


あとわたしはしいたけ占いが昔っから好きで(急に何の話?)今年の下半期の占いもちゃっかり読んで若干参考にしていたりするのだけれど、そんなしいたけ。さんもずっとこう、言ってくれていたりもする。




占いで見ていく牡牛座って、やっぱりものすごく「ドハマり」がある人なんです。


自分が好きになったものを至近距離でペロペロしていく人だし、お気に入りの人、店、場所、アイテムなど、「私の半径5m以内にあるもの」をかなり選別し、その範囲で負う「大好き」と「責任」をとても大切にしていきます。やっぱり、「なんでも良い」というわけにはいかない人なのです。


牡牛座 2023年下半期しいたけ占い






……うん。なんか一気にまとめに入ろうとしてしまって申し訳ないのだけれど、わたしはこうしてたぶん、三人称の御三方をそうやって好きでいるあいだはぎゅうっと、その気持ちを大事にしながら「あーおもしろ……」とスマホ片手に大笑いする日々を夜な夜なだったりぽかぽか陽気の中過ごしていくんだと、そう思います。なのでとりあえず今のところいちばん好きなRAFTの第1話でも置いておくね。


youtu.be






ということで、長々とご精読、ありがとうございました!いやーあのまあね、まあ別にファン心理とかそういうのに物申したいとかではなく、こうぐる〜っと遠回しに、「いえ〜い三人称はいいぞ〜」って言いたいだけの2回分、ってだけだったかも。ひっそりこっそり、三人称見てるフレンズできたりしないかな〜と思っている今日この頃だもん(小声)。えへ。ぜひ見てみてね。