晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

【ネタバレ有】ハートストッパーを見て「わたしはずっと何が好きなんだろう」と考えてみたけど別にずっと何も好きじゃなかったのかもしれない

【LGBTQに対して率直どどどどストレートな話をしています、初めに少し。今はまだ諸々勉強中のため偉そうに分かってほしいから〜とかで書いているわけではなくただただ自分の感情の赴くままに書き残しているだけなので、関心がない方や気分を害するかもしれないと判断できる方は他の日記及び記録へどうぞ。ライブレポなんかも単純に長いだけで中々おもろいですので(アットウテキジガジサ-ン!!)】












人を好きになれなくて苦しむ主人公のドラマはこの世にあるのだろうか。そもそも人を好きになれなくて地味に地味に、じわりじわりと日々苦しんでいる自分はおかしいのだろうか。それともわたしは実際昔に人を好きになったことはあるしトラウマめいたものがあるだけで実は人を好きになれなくて苦しんでいるのではなくただ、この今が、人を好きになるタイミングではないのとそういう人が周りにいないだけで実はタイミングや対人運次第では好きになれるし恋もできるし愛も育めてしまえるのだろうか。それとも女の子が好き?でもアイドルはナムジャドルが好きだし坂口健太郎のことは今でも大好きだけれどそれはまた違うの?





こんなただのしがない一般人がここまで悩んでいるのだから、『恋愛』なんてものはひとつの定義で収まるものでもないのは明らかではないのだろうか。1人の意見が100パーセント正しいものでは絶対にないし、1億人いれば1億通りの恋や愛やそのほかの類のものもある、そう、誰だって分かってもいいはずなのにどうしてこの世界はずっとずっとこうなんだろう。男は女と恋愛するもの、結婚して子供を産むもの、そして経済を回し人口を増やしこの地球という星を豊かにさせていくものだと、そういう風になってしまうのだろう。気持ち悪い。物理的にも気持ち悪いし精神的にも気持ち悪さを感じる。いつも訳が分からない。みんなやっぱり悩まないのか。悩まず結婚して子供を産んで育てて、なんて人が多いからそうなるのか。そもそも私は今まで知り合ってきた中で嫌いな人がこの世に1人、苦手な人が1人、合わせて2人しかいないとにかく全人間全肯定しがち「いいんじゃん?」タイプなので誰かを全否定することはないしましてや知らない人を大攻撃することもないのでもっと、ずっと分からなかった。なにがだめなんだろう。なにもだめじゃないのに。税金収めてないわけじゃないのに。税金は納めろというくせに相変わらず生活苦にさせてくるのはなんなの?とりあえず選挙には行くけどわたしはずっと10パーセントに消費税を上げられたのはなんで?わたしそんな政党に投票しなかったのに、と思っている。







ニックがチャーリーのことを(あれ、好きなのかも…)と思い感じてゆく中で自分が男だけが好きなのか、女も男も両方好きなバイセクシャルなのかを調べ、考え、悩み、それでも選択し進んでいく過程がとくに好きだった。(どれも日本のドラマだが)「消えた初恋」にも「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」にもそういう描写はあったがハートストッパーがいちばん良い。特にニックがお母さんと映画パイレーツ・オブ・カリビアンを見てラブシーンへと向かっていく役者2人を交互に見ていくシーン。その後のシーンで「バイセクシャルらしい」とニックはチャーリーに打ち明けてハッピーエンド、となるのだが何故バイセクシャルだと(けっこう早く?)判断できたのか、そこはもう少し掘り下げてくれても良かったのに〜なんて思ったりもした。……けどそれはそれでニックのサバサバとしたクールでクレバーなキャラクターと、それにドスンと加えられるチャーリーに対する重い(熱い)くらいの愛、がそういうスピード感を生んだのかもしれないとも解釈できるしそう思うとめちゃくちゃ良いし。どっちにしろよかった。レズビアンをオープンにすることにしたタラにチャーリーとの関係性を打ち明けるシーンもかなり良かった。「(わたしに)話してみてどう思った?」のタラの言葉にわたしがニックの代わりにそこで踊りたいくらいだった。わたしのほうが気持ちよかった。「うん、いいよ」じゃないんだよ、もっといいじゃん、最高じゃん。




チャーリーはただただ可愛かった。可愛くて愛おしかった、そりゃニックも好きになるだろうなと思った、わたしも好きだし。でもタオが「あいつは自分が生きてるだけで人に迷惑がかかる人間だと思ってるんだよ(なんとなくの意訳)」と言うように、チャーリーはひどく弱かった。でもその弱さが良かった気がする。女の子を好きだった時期もあり「あいつはストレートだ!」と主にタオにより口を酸っぱくされながら知らされていたニックがもしかしなくてもあんなの僕のことが好きに決まってる…!と思いはしゃぎがらも、無理やり自分の方へ、自分を好きになるように、と引き寄せることはしてはいなかった。ねえ、好きなんでしょ、僕のことが好きなんでしょ、はやく認めなよ、はやく認めて僕と一緒にいようよ、ね、そうでしょ、なんてチャーリーがニックに仕掛けていく強引なシーンはひとつもなかった。むしろチャーリーはいつも引き気味だったし自信なさげな所為をしていたし、いい感じになろうとしている最中ニックを避けたりもしたし突き放しもしたり遠ざけたりもする。それはある意味ニックがもしチャーリーのことをほんの少しでも好きじゃなかったら、自分の感情に素直になれなかったら、勇気を出さなかったら、きっと2人は実っていなかったくらい致命的な弱点でもあり、でもそれが、いじめられた過去があったり好きだった人に利用されていて傷付いたことがあったチャーリーのたしかな優しさだったように思う。弱い人は優しい。頭が良い人も他人に優しくなれるのかもしれない、でもやっぱり傷ついた経験がある人が誰よりも優しくなれてしまうのはどの国でも共通らしい。そんなチャーリーに「傷付く事に慣れてほしくない」なんて言ってしまうニックに少し胸を打たれてしまったけれど、でもそれはほんとうにそうだと思った。この世に傷付いていい人間なんていない。傷付けていい人もきっといないはずで、傷付くことに慣れてしまう、そんな人もいていいわけがないのだ。





わたしは残念ながらニックのように自分がバイセクシャルなのかアセクシャルなのかなんなのか、は分かっていない。もう分かろうとするのも面倒になってしまっている気がするし分かるために恋愛してみたり、なんてそんな余裕もないので考えるだけ無駄かもな〜そんなことより別のこと考えなきゃだしな〜なんてぼんやり思うこともあるのだけれど、ただ思うのは、みんな幸せになりたいだけなんだけどな、というだけだ、ずっと。夫婦別姓の話も、中絶禁止の話も、『子宮のある人』の話も、みんなただ、幸せの形がひとつ増えるだけなのにな、なんていつも思っている。


こんなにこういう話だけでなく日常的に「ふーん、まあなんでもいいんじゃない?やってみれば?」なんて思っちゃう自分はやばいのかな、なんてこともたまに考えたりするし一体どういうタイミングでそういう性格に……と自分で自分のことについてそうモゴモゴ考えたりもするけど、まあでもほんと、幸せになれたらいいのにな、というだけです、何回も言うけど。逆に幸せになりたくないなら何になるんだ?人を殺すのも結局は幸せになりたいからで、死ぬこともそうじゃん。それとも選択肢が増えただけでアンタは不幸せにでもなるんか?ならんよ、と肩を撫でてやりたい。大丈夫やで、誰もお前のことなんか気にしてないしわたしらのことも気にせんでええから、と。どうせみんな見て見ぬふりが好きじゃん。わたしもですけどね。