晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

1007 どうもわたしは接客が好きらしい

「接客が好きです」と、そう言葉にしたことは今まで全くなかった。カラオケ屋で働こうがオムライス屋で働こうが定食屋で働こうがゲストハウスで働こうが小売店で働こうがラーメン屋で働こうが、結果的にただ“接客を主にする仕事”にたどり着くことが多かっただけ、と思っていただけで、「接客が好き」だと声にしたことはなかった。わたしは他人に興味は無いし、自分の好きなものは自分だけで楽しめるし楽しみたいし楽しんでいたいし、他人は他人で自分は自分だと思ってきたし、そう今でも思っているから。

25歳。20歳の頃に大学を辞めてふらつく先の見えない道に迷い込んでからもう5年。どうも私は接客が好きらしい。自分が接客をしたお客さんが気持ちよく帰っていく様を見るのがどうも好きらしいということにやっと気付いた。




関東に来てもう半年が目と鼻の先。横浜駅近の店でさいきん働き始めた。25歳にもなって新人なんて、とちょっと思わなかったこともないが暖かく受け入れてくれたスタッフの人達に紛れてなんとかやっている。そりゃあそうだろう、自分より若いスタッフがかなり多く、「タメ口でいいですよ!」と言われすぎているものの全然、むしろ一切誰一人に対してもタメ口にできてないし仲良くし始めている人も特にいないがなんとかやっている(と思いたい)し、少しずつ、とんとん、とコツを掴みつつある。前職の小売店もこんな感じで楽しかった、はずなのだけれどだんだん達成感も何も先も見えず苦しくなっていったのはなんでなんだろうなあとなんとなく考えてみると、喜んでくれるお客さんの顔が直に見えずお金で換算するしかなかったことなのだろうか、と思ったり。それくらい、今はそれがかなりのモチベーションになっている。面白いなと思う。他人事のようだけれど、自分がそうやって他人を喜ばせたいと思っている事実がなんだかくすぐったいというか、思ってもみなかった、というか。こうなってくると自分って案外他人に興味あるのかも?と思うこともあったりなかったり。





ゲストハウスで働いていた時、たしかに泊まりに来る人達の話を聞くのはいつも楽しかった。どこに住んでいるか、何をしているか、何をしに来たのか、何をこれからするのか。聞いては頷き、いいですねと同調し、羨ましいと声にする。しばらく話した後に良い表情をしてベットに帰っていく姿を見て、ああ、今日も仕事したな、と、そう、毎回ちゃんとした達成感をおぼえていたように思う。お客さんが気持ちよく帰ってくれるのがいつも嬉しかった。自分の微力な力で良ければ、お客さんにはどうか、少しでも気持ちよく帰っていってほしいという気持ちがたぶん、その頃から自分の中には存在していた。





今の仕事場はわりと忙しない。コの字になっているカウンターの中を動き回るのだけれど、水をほしそうにしていないか、なにかメニューを見てドリンクやフードについて悩んだ素振りをしていないか、それを店員に聞こうとしていないか、会計しようと準備をしようとしていないか、なにかモバイルオーダーに不具合はないか、小皿を欲しそうにしていないか。気を配ることが多くて傍から見るとかなり大変なように見えると思う。そして傍から見なくても無論、大変である。1人でホールを回すタイムシフトだと全ては見切れない。もちろんお客さんに呼ばれる。が、“お客さんから呼ばれないようになるべく自分が気を回す”楽しさはかなりある。お客さんが少ないときは特に、上に書いたもの以外にも考える余地があってわりと楽しい。1人で来ているなら肩身狭そうにしていないか、話しかけることで少しでも気を和らぐなら話しかけてみようか、2回目の方ならまた何回でも来てもらえるようにたわいもない話を、美味しいですの言葉には即興で笑える返答を考えようか、など。考えること、やることは山ほどある。でもそれは全て、来てくれるお客さんに良い顔をして帰っていってもらいたい、という気持ちからくるアイデアだ。





接客なんて本業にできない、本業にしていいわけがない、いい大人が、とどこかで思い込んでいたところがあったのかもしれない。もちろんそれを生業にして生きて生活をしている人がいることも分かってはいるが、接客なんかよりも事務やOL、営業、の方がしっかりとした仕事で、無論、警察官や看護師なんかは当たり前にちゃんときちんとした仕事で、そんなものと接客業なんてあわや比べるものじゃない 、『ちゃんと感』なんて比べ物にならないだろ、と、思っていたところがあったんだと思う。そんなことはない、自分は接客が好きなんだ、そんなことない、接客業を突き進んで行くのもいいじゃないか、そう思うまで数年かかった。25歳になってしまった。いや、まだ25歳、なのかもしれない。




前職の小売店は2,3年で辞めてしまった。後半は達成感も充足感も満足感も何も得られず苦しく辛い日々だった。人と直接相対する、今の接客業はどれだけこのモチベーションを持ち続け、やっていられるだろうか。相変わらず先のことは分からない。接客が今は好きだ、と認識したしそう思っているけれど、また数年後は別のことをぐにゃぐにゃと、こうして語っているのかもしれない。とりあえず今は、どうもわたしは接客が好きらしい、としか、言うことはできない。どうもわたしは接客が好きらしい、としか。