晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

1102 怒られたくないからもう殴られたい

柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』を読もうとするが、考えごと、悩みごと、切ないこと、悲しいこと悔しいこと迷っていること、がひたすら脳内を駆け巡っていて集中できなくてやめる。読んではいる、頭の中で声を出して呼んではいる、のに物語が入ってこない、そんな状態で読み進めていくのはもったいないしなんの身にもならないことをわたしはちゃんと分かっている。だからこの日記を書いている。今思っていることを、今、書き出すために。なのに、いざ書き出そうとすると指が止まる。何を書けばいいのかどう書けばいいのか、それさえも分からないくらいの不安に襲われているらしかった。怖い、とはまた違う、なにか。今日はやけに日差しが強くて心地いいのに気持ちはずっと、そんなきらきらした天気なんかとは真反対だ。




わたしはときどき、自分はほんとうに“25歳”なんだろうか、と思う。この世にこんな25歳がいるのだろうか、と思うし、実際居たとして、「大丈夫だよ、ここにいるから」と言われてもそんなのなんの励ましにもならないくらい、ただただ、なんの成長もなくただ歳だけを、ただ年だけを重ねている、その事実に絶望する。なんでもやってきましたよ、接客をたくさんやってきました、接客が好きです、飲食で何年も頑張ってきました、小売店も2年、3年。そんなものはなんの身にもなっていないのに、上手いことなんとか言って、自分を良いように見せて、褒められて。でも褒められたことで自分で自分を嫌悪して。その繰り返しのような気がする。それをずっとここ数年、続けすぎている気がする。



でも、怒られたくはなかった。叱られ、窘められ、怒られ、蔑まれる、それは嫌だった。誰だってそうだと思う、でも、誰よりもわたしはそうだと思う。その気持ちが強いんだと思う。怒られたくない。怒られたくない。子供だなと思う。25歳ではない、子供だな、と。ふと、怒られるくらいなら唐突に殴られた方が良いなと思った。ボコボコに殴られて口から血が出て腹が痛んだり病院行きになるくらいになれば。最近見た不良映画みたいに殴られ、殴られ、殴られ、殴られ、武器を使われて殴られ、殴られ。その方がいいと、怒られるのならそうやって殴られる方がましだと、そう思う自分がまたおかしいことも自分でちゃんと、分かっている。




ここまで吐き出しても特になんの解消もされないので、今回の悩み、不安はかなり根深いらしい。それもどれも自分のせいなので自分に怒りを向けるしかないが、それもそれで嫌だと思っているような気がするので、とはいえ、開き直るのも気持ち悪い。為せば成る、なんくるないさ、なんとかなる。それでもそう、思って進むしかない。なんにも変わらずまた前に進もうとしているけれど、進むしかない。




まだ夕方なのに月が見える。半月の白い月だ。月もきっと「やるしかないでしょ」と、そう言ってくれているんだと自分を落ち着かせ、読書に戻ろうと思う。読みかけの柴崎友香と岸政彦の『大阪』もどこかで早く手に入れたい。