晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0711 くらいはなしをしようか

ここ最近、自分はなにがしたいのかをよくよく考えている。働かなくてはいけない、生活をしなければいけない、暮らしを成立させなければいけない、お金を払わなければいけない、その中で、また、“やりたいこと” ばかりを考えている。ずっとそうだった。やりたいことが多くて、興味のあること、夢が多くて、それを自らの手でいつも選択してきた。高校を決める時でさえ、「ふーん、単位制?おもしろそうじゃん、そこにしよ〜」と初めは友人が「行くかも」みたいな話をしてくれた高校に自分1人で行くことに決め、勉強し、合格してちょっと母と一緒に涙ぐんだ。大学も「哲学を勉強しに行きたい」「国公立がいいな〜。大阪から出たいし」と決めて勉強したが国公立は見事に落ちてしまい、京都の私立大に滑り止めで合格したので通った。やけに遠かったのと家庭のことで色々あり引きこもりになったあげく2年で辞めた。それもまた、たったの自分ひとりで決めたことだった。





わたしは優秀だった。小学生の頃から勉強が好きで、クラスの中心のような注目される生徒では無かったが、スポーツが好きで、活発で、明るくて、国語の好きな女の子だった。中学では偶然にも母がやっていたソフトボール部があったので好奇心からすんなり入部を決め、まったく上手くはなく下手っぴでどんくさかったが、なんとか3年間やり遂げたし引退試合の後はわんわん泣いた。社会と数学が少し苦手で、特に社会は『ミシシッピ川』を『ミツツッピ川』と書きクラス全体の前で笑いものにされたこともあるほど(文字のクセの関係上だったかもしれないが大真面目にその答えを書いていた覚えがある)。それでも得意な国語はいつも頑張っていた。テストのたびに課される読書感想文の優秀作に選ばれたこともあった。嬉しかった。母に勉強のことで怒られたことは一度もなかった。「頭が良い」と、母はよく言ってくれた。勉強は大好きだった。今でも好きだ。







ずっとそうやって“優秀”な道を歩んでいくんだと思っていた。真面目に、コツコツ、下手でも、不器用でも、それなりに自分や他人に真摯に向き合って物事をこなしていく、そんな人間になるんだと子供だったわたしは思っていた。願っていたわけではなく、それがいわゆる『普通』のことで、わたしもそうなるんだとあっけらかんと思っていたのだ。このことを考えるといつも、誰に対してなのか、母に対してなのか自分に対してなのか、今自分が歩んでいる道や選択している生活に対して情けなさや申し訳なさが募り、自分でも理由が分からないままにぽろぽろと泣きたくなる。もっとちゃんと“優秀”になれたはずなのに。そう後悔してしまう。それでももうなにも、今からはもうなにも取り戻すことなんてできないんだと理解しているから、なおのこと、ずっと苦しい。







歪んでいる。性格はおおらかかもしれない、気も使えるし礼儀も知ってる、文章も書けるし写真にも興味がある。美味しいご飯が好きで、料理もそれなりにできる。それでも歪んでいる、なにかが歪んでいるんだと、別に誰に打ち明けるでもなく、自分で自分のことをずっとそう思って今も生き続けている。それでも、そう自分のことを思いながらも“優秀”でありたいというプライドは無くならない。なにをもって“優秀”とするのか。いい企業に務めることが“優秀”である印?お金をより多く稼ぐこと?それはよく分からないけれど、わたしはずっと“優秀”を追い求めている気がする。だから“やりたいこと”ばかりを考え、実行に移そうとするのかもしれない。“やりたいこと”をできていることが、“優秀”であるかもしれないからなのだろうか、いや、それさえもわからない。それでも“やりたいこと”と“優秀”であることに何処か、なにか似通ったものをわたしは心のどこかで感じているんだと思う。そうでなければ、わたしはもっと、生きやすいように働き、暮らしていることだろう。何も考えず、目の前のことをこなしながら、淡々とした毎日を過ごしていきたいのに。もっと上手く生きたいと思い続けているうちにもう25歳だ。もう、25歳だ。