晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

真面目でありたい

本を読んでいる時に近づいてくる蚊を、なんとなくいつもみたいにはできなかった。その代わり、電池がもう少しでなくなるらしい小さな電気式の蚊取り線香をつける。週末から来週にかけての関西はずっと雨らしい。網戸にしたままの窓から聞こえるやけに騒々しいその音も、日付が変わる頃には少し収まっていてポツポツとした音からは風情も感じられるが、やはり雨は、好きにはなれない。



わたしは自分をすごい人間だとは思わない。仕事ができる人間でも、勉強ができる人間でも、知識がある人間でもないと思っている。ただ本が好きで、美味しいものも大好きで、特にオムライスがすんごく好きで、インスタグラムで美しい姿のそれを見つけてはおおいに歓喜して行きたい店としてGoogleマップにメモをしておく、それくらいの、ただの自由に生きる23歳だ。でもどうだろう。真面目であるということに関しては性格上認めている、というよりは『人間は真面目であるべき』『真面目であることはいいこと』と思って幼少期から過ごしてきたため、その辺は崩すことができず、なんにでも「真面目だから」とくっつけてしまう癖がついているようにおもう。仕事ができるね、物覚えがいいよね、と言われても「やっぱり真面目なんで!」と言うしそう思うし、もしアルバイトの人数を今よりも減らすとしたらという話で私は残った方がいいと言われれば、「まあ、真面目ですからね〜」と、またわたしはきっと言う。



自分は真面目な人間だ、というよりは、いつだって自分は真面目な人間でいたいのだ、という気持ちの方が強いのかもしれない。やはり人は、そう簡単には変われないのだから。真面目すぎる、と今の職場では言われている。そりゃあヴィレッジヴァンガードだ。遊んでなんぼ、賢くふざけてなんぼ、の世界だろう、初めの頃はそれこそ、やっぱり真面目すぎるのはだめなのか…こんな真面目人間じゃ面白いことなんてできやしないのか…? と悩んだりもしていた。でも最近は開き直ってやっている。真面目がなんだ。真面目のなにがだめなんだ?真面目だけど真面目にやんないとおっちょこちょいとどんくさいの部分がすぐに出てやらかしちゃうんだから真面目にやんなきゃだめなんだよわたしは。真面目に、誠実に、面白い事をやってみせる。わたしの出来うる範囲で、わたしの好きなもので、やってみせる。と意気込みつつも、まだうまくなにも、掴めてはいないのだけれど。