晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

1年間大阪に住むこと

鎌倉から大阪に帰ってきてからずっと、わたしはそわそわと毎日を過ごしていた、らしかった。地に足をつけてこれから進んでいきたいと、自分の中にある『やりたいこと』とやらを見つけて新しい人生を歩もうと、そう気持ちを強く持って地元に帰ってきたはずなのにただただずっと、ふわふわしているばかりだったらしい。それはまるでヘリウムガスを無理やり入れられて、ふわっと軽く空に浮かべられている風船のようだったんだと思う。だから一見するとただただ自由で、なんにも縛られていなくて楽しそうに見えたんだろう。「なんにでもなれるから羨ましい」なんて言われたこともあった。いつもどこに行ったって、「22歳?若いなーまだまだなんでもできるね」なんて言われた。でもそんなの、なんにも嬉しくなんてなかった。なんでもできるはずなのになにひとつできてやしない自分が、ずっともどかしかった。なにかしなくちゃ、一人暮らしがしたいしお金を貯めないとだめだ、それならどこか、はやく大阪を出てどこかへ行かないと。それなのにずっと、なにひとつ上手くいかない。なんでなんだろう、なにがしたいんだろう、なにをしてるんだろう、自分は。やりたいことが見つかってもただ日々はアルバイトで潰れたり眠る時間で消費されていく。ぽつんと、てのひらにいつも置き去りにされていくのはいつだってすっからかんの財布と、家に住まわせてくれてなおかつ優しくしてくれるじいちゃんとばあちゃんへの『なにも返せない』という申し訳なさと、このままでいいわけがないだってこんなもんじゃないんだからという焦りと、また新しく増えた趣味、だけ。わたしはずっと焦っていた。焦っていたから、空中をどれだけ漕いだって、空中でどれだけもがいたって前には進めないなんてことは知っているはずだったのに自分自身が空中に浮いていることにすらそもそも気が付けなかった。だからもうここは、割り切ることにしようと思う。これから1年、わたしは大阪に住んでみることにする。大阪に住んで、大阪でいろんなことをして、また来年の11月、再々スタートを切ろう。せっかく見つかったやりたいことの準備も、そうすればできる気がする。



いつ死んでもいいと思いながら、生きている。一度「死にたい」と思ってから、ずっとだ。あわよくば交通事故に巻き込まれないかなとか、この道路を飛び出したら車が突っ込んで来ないかなとか、この川にいま飛び込んだら溺れて死ぬんだろうな、苦しそうだけどとか、もっと大きく言うと地球が急に滅亡したりしないかなとか、不謹慎なことだけどボーッと道を歩いているとよく頭にそういうことがよぎる。先の予定を組むのが苦手だし、気分の上がり下がりも凄いし、生きるのはかなり苦しいし、新しいことを始めるのだって苦手で、終わり方も下手くそで。でもだからこそ、焦らない方がいいんだろうなーとやっと分かった。最近いろいろ分かったり気づいたりすることが多い。うまく生きたい。上手にめんどくさい自分をも操って、これから先もう少し、ちゃんと生きていたい。読みたい本もたくさんあるし、見たい映画だって、行きたいライブももう2020年の5月にまで実はあったりするし、会いたい人もたくさんいる。もしかするとなにか急なこともあるかもしれないけれど、とりあえず今は、この命を自分で手放すことはないだろう。1年大阪にいる間にやりたいことリストを書き出した。『漢検を取る』が未だに2項目目に書かれているのを見ると、相当取りたいらしい。とりあえず申し込み時期が来ていたから3級と準2級を併願で申し込んだ。漢検も併願できるんだなと思いながら、来年の2月16日の部分に大きく『漢字検定』と書いた。