晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

1206

日付が変わって深夜2時に書く日記も日が変わる前の日付にするのはいつものこと。自分にとって『一日』というのは目が覚めてから夜また眠りにつき、次また目が覚めるまでの間のことを指す。だから、深夜2時だろうが4時だろうが6時だろうが、まだ眠っていなければまだ『今日』となるのだ。いや、6時はさすがに言いすぎたかもしれないけど。



人から言われて「ああ、じゃあやりますよ」とヨッコラセとやるようなことはわたしは続かないと思っている。突然すぎるが、そんなものは一時的で終わってしまうんだろうなとふと今日思ったので今日はそのことについて書き記しておく。



続かないというのはいい意味でも悪い意味でもそうで、続けないこともそうだし、続けられないというのも同じ。物事の初めは人から教わって始めるものだということはもちろんそうなので、他人から言葉を借りて教えてもらい、そこから続けるか否か、続けていくか否かは自分で決めるべきだという話だ。他人の言うことは聞くな、などというそんな極論ではない。勉強に置き換えてみれば分かりやすいと思うが、自慢ではなくわたしは人から言われずとも勉強をし、それを続けるような子供だった。何かを続けていくには、他人の言葉に耳を傾けすぎても、他人と向き合いすぎても、その他人任せにしてしまってもいけない。


何かを辛抱強く続け、それのプロフェッショナルとなっている人はそういう意味で言うと孤独だし、孤独であるしかないんだと思う。誰かにこれをやれあれをやれそれをした方がいい、などと口うるさく言われ、ただそれだけに従い続けて金メダルを取るような選手はきっとこの世にはどこにもいないだろう。彼ら彼女らは自らの感覚とセンスで日々の練習をこなし、己と闘いながらベストを模索しているはずだから。



他人から教えてもらったものを自分で噛み砕き、自分のセンスで自分にあった成長方法を自分で行わないと、きっと人間は賢くなれないし、格好良くもなれない気がする。やればできるのにやらない人は、結局やらない人にしか見えない。飛ばない豚はただの豚だ。そう、ただの豚にしか見えないんだ。わたしはそんなただの豚なんかには見えないように、やればできることはぜんぶやる。仕事はみんなそんなものでできてるんだと思う。やればできることは、やった方が格好良い。明日の自分よ。やればできるなら、今すぐやれよ。やらない豚はただの豚だぞ。