晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

悲しいを置いていく

悲しいことがあった時に無性に日記を書きたくなるのはなんでなんだろう。嬉しいことより悲しいことの方を言葉としてここに記し、残しておきたくなるのはどうしてなんだろう、自分でもよく分からない。日常生活において嬉しいことと悲しいこと、どちらをより多く友人や親、職場の人間に話しているかというと圧倒的に前者、嬉しいことなのに。むしろ泣いてしまうほど悲しいことなど他人に話すわけがないのに。どうしてなのか。なんでなんだろう。悲しかったことを人に話そうとすると、泣いてしまって上手く話せないかもしれないからだろうか。相手がもし共感してくれずにさらに傷をえぐったり塩を塗ったりしてくる可能性を少しでも考えてしまうからだろうか?だからわたしはここに、誰からの攻撃も視線も何も感じないここに、置いていくのだろうか。悲しいを置いていく。なんだか聞いたことのあるような語彙だな、とぼんやり思う。小説で読んだかなんだったか。既存の何か、のような気がするのに一向にその姿さえも思い出せなくてモヤモヤしているその間、わたしはその今日起こった悲しいこと、悲しすぎることを少しだけ忘れられていた。悲しいを置いていく。悲しいを置いていく。置いていったからといって悲しいことはなくならないけれど、わたしはここに、悲しいを置いていく。