晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

0408 やらなければならないことを続けられず、そういうことがある度「自分は物書きにはなれない」と痛感する

自分の人生は、なにかを「続ける」ということに固執し続けるものであるように思う。皮肉にもそう「続け」てはいるのだけれど、『恥の多い生涯を送ってきました』を言い換えて、『逃げの多い生涯を送ってきました』とでも言おうか。なにかしらのきっかけで始めたはずなのにいつまでも「続け」られずどこかのタイミングで逃げ離れてしまう、そんな人生をわたしはいつまでもどこまでも繰り返し続けている気がする。人間なんて生きてるだけできっとえらいはずだけれど、生きているだけで報われるわけではてんでない。





新しい仕事を初めたのが11月で、12、1、2、3、と終え、最近また月をまたいで4月になった。12ヶ月の中で一番好きな月、4月。また歳を取るこの月。そして人との出会いと別れの季節だ。最近も1人、寂しいながらも辞めていき、まあそういう時期だよな、桜もいつかは散るんだし、そういうものだ、としみじみセンチメンタルに思っている。そんななかでの5ヶ月。早い。早すぎる。今の仕事を始めてから初めてタスク管理をやっているのだけれど4つか5つしかこなしてないんじゃ?と思うくらい、早い。こんなんじゃ1年なんてもうすぐ来るんだろうな、という気がする。ただ、それと同時に未だに「自分はここに居ていいのか」とたまに思ってしまったりもしていた。わたしは“自分が好き”だしちゃんと自己肯定感だって持ってるし、多分人並みに、むしろ高い方だと思うし、だけど、「自分ではない誰かって、全員すごいんだよな」と思い、独りでに落ち込む、そんなことが本当によくある。この世に自分より仕事ができない人なんてどこにも居なくて、自分より職場に迷惑をかける人なんていうのも居なくて、自分より能力が低い人間もきっと居るはずなくて、自分がいちばん、どんなことにおいても下っ端で。「仕事ができる」「店長になったらいいのに」と何度言われても、たとえ嬉しくても、たとえそれがもしや本当だとしても、わたしは君たちが一生をかけてでも知り得ないであろう自分自身の全ての事においてのできなさ、不器用さ、不甲斐なさ、弱さ、愚かさ、を、常に感じ、理解し、己をある意味、戒めている。それもかなりのがんじがらめに。





と、つらつら久しぶりに考え耽けつつ一文一文書きながら、「あー、だからわたしって人の悪い所が見えないんだ。見えないっていうか見えないようにしてる?」とふと思った。自分よりあなたは絶対的に秀でてますよ、わたしなんぞがそんなそんな、恐れ多いです〜という心持ちで誰に対してもいるのだろう、ある意味変な才能のような気もしているが、はたしてそれは仕事上において吉なのか、凶、なのか。

人に怒ることがほんとうに滅多になさすぎるのも、ああ、きっと心のどこかで(自分にはこの人に怒る資格なんてないんだよな)と思っているのかもしれない。いや、当たり前に理不尽にめちゃくちゃに肩をぶつけられた、とかなら「は、だる」くらいは思うし言いたくなるが(とこれを書いているこの日、改札を出たらチャラいダサヤンキーになぜか肩をぶつけられ「なんやねん」くらいは大声で言いたかったと思っている、思い続けてるしたぶん次会ってぶつけられそうになったら攻撃(?)しにいくと思う、こちとら関西人やぞなめとんかワレ、つって)(半分本気)(怖)、そうではない、純粋に自分が尊敬できる部分が少しでもある人に対しては、きっと怒ることはない、気がする。気がする、というかたぶんしない。だって自分の方ができてないし、自分の方がダメなことなんてたくさんあるし、自分の方が……ごにょごにょ……と、なんだか闇が深い。闇?というか、陰、というかなんというか……いやそもそもたどり着きたくなかった答えのような気がしてきた。でももう、そう書くとそうのような気がしてしまい、日記を書くといつもなんだか自分を自分で嫌な方向に暴いているようで、まあ、それはそれで面白いし「人間っておもしろいなあ」になるから全然いいのだけれど。