晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0611 わすれてしまうから残す、でいい

朝、早く起きたのに二度寝したらもうこれ以上寝られませんよのアラームに起こされた。時間に余裕がなかったのと小雨だったので自転車で行き、降りた時に傘は自転車から取って持っていこうと思っていたのにすっかり忘れていた。店の中は冷房が効いていて、外に出るとじめじめじめじめしていた。傘をささずにちょっとした雨の中を歩いて家に帰ると、脱いだ服から柔軟剤と混ざってじゅわっと、雨の匂いがした気がした。ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、少なくとも1ヶ月後にはきっとわすれてしまうようなたわいもないこと。だいたいの一日はそうやっていつも終わっていく、ただ平凡に、のんびりと、なにごともなく、感情もそこまでぐわんぐわんと揺さぶられる、もちろんそんなわけでも毛頭なく。日記は、そうやって終わっていく毎日を確かに自分はいつかわすれてしまう、だから残す、わすれてしまうから残す、で、わたしにはきっとちょうどいい。忘れん坊の、わたしには。



4月11日土曜日。明日から休みになりましたと店長からとつぜん連絡が来て、昨日、普通に締め作業したのにそんな急に?とぼんやり思った。5月1日金曜日。まだ出勤はできなくて残念。5月14日木曜日。出勤できるかもしれない!とうれしい気持ちでいっぱい。不安もあるが、早くみんなに会えればいいなと一人考える。5月17日日曜日。1ヶ月ぶりの出勤。たのしかった。うれしかった。




バイトの出勤がようやく始まっても街はなかなか元通りになることは、はじめの方はもちろん無かった。緊急事態宣言が発動されていたということもあっただろう、すれ違う人はほんとうにまばらで、こんな静かな大阪も有り得るのかと新鮮だった。店もとにかくシンとしていた。宣言が解除されて数週間が経った今は、また前と同じような風景が、人が、空気が、戻ってきたような気がしている。でもそんなことはないのだと、半額を大きく示し外に出されている看板や、前はなかった店頭でのお弁当販売のブースを見ると、おもう。そんなことはない。もう以前とは違う、同じようには戻らない。ただみんなが、少しずついろんなことを、忘れていくだけで。たくさんの人が亡くなってしまったことも、長い長い自粛期間を設けられていたことも、たぶん、みんなそのうち忘れていくだけで。




わすれてしまうから残す、でいい。忘れられたくないから残す、は、ちょっと重くて好きじゃない。惜しくも、悔しくも、苦しくも閉店することになってしまったたくさんの店のことも店の人達のことも、わすれてしまうのなら、わたしにはここがあるから、そもそも言葉があるから残せるのなら、ひとつだって零さず残していくつもりだ。わすれたくないと思ったら、残せばいい。わすれてしまう、と不安になったら、どこかにどうにかして残そうとすればいい。文字が書けないなら、わたしが代わりに書いたっていいんだし?そんなことも、恥ずかしげなんてものはなくいまは思ったりする。


梅雨のじっとりとした雨。梅雨だけじゃない、幼い頃の自分は雨が大の苦手だった。いつから嫌いじゃなくなったのだろう。いつから雨の日に窓という窓を閉めてからじゃないと寝られない、そんな子供から成長したんだろう。それはたしかにすっかり、忘れてしまっていて、もう片鱗でさえも、思い出すことができやしないけど、今雨がちょっと好きになりつつあることは、なんとなく、忘れない気がしている。


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