晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

ツイッターとインスタ

生きてるか生きてないか。ツイッターとインスタの使い分けとしてわたしが思っているのはだいぶ大袈裟に言えばそうなる。語呂の関係と無意識にもツイッターを前に置いたが、死んでるのはツイッターだ。



始めたのはツイッターの方が早かった。中学の時に家にまで遊びに行ったりするほど仲の良かった親友に教えられて、その彼女の部屋でドキドキしながら登録したのが始まりだった。よくよく覚えている。あの日からツイッターはもちろんいろいろと仕様が変わった。広告はかなり昔より増えたような印象があるが、でも根本的なものは何も変わってはいないと思う。インストール者数は年々増えているのだろうか。それともインスタ流行り、『映え』流行りのせいでもしや減り続けていたりするのか。



初めて登録をした時から10数年が経ったが、わたしは未だにツイッターを続けている。アカウントを作り替えたり、一旦ログアウトしたり、あるジャンルのみのアカウントをつくったり、それも消したり。いろんなことは確かにやってきた、もはややり尽くしたと言っても過言ではないだろう。2020年の今現在では『前田』という自分の苗字をつかったアカウントで毎日のことを呟いている。他にログインしているのはバイト先の公式アカウントと、下書き用にだけ使っている誰もフォローしていない無のアカウントだけ。つい最近(最近と言っても数年前か)、新たな仕様として追加されたおかげで今のアカウントをどれくらい前から使用しているかが分かるようになった。こんな所で役に立つとは到底思っていなかったが、2017年からとのことだから3年だ。20歳くらいに今のアカウントをつくったらしい。逆算し、ぼやぼやと思い返してみる。たしかにそのくらいの時、逃げるように、坂道を転がるようにして辞めた大学の思い出が詰まりすぎたアカウントなんてものは消すしかない、と思って惜しみながらも初代をアカウント削除した、確かな記憶がわずかだが、ある。ログアウトではなく完全に消してしまったため、今もこの先ももう一度だって復元することはできない。




インスタも2代目をつかっているがこっちはツイッターとは違って前のアカウントも見ることができる。今の2代目はもう既に600投稿を超えており、実は23歳になる手前でアカウントを新設して移行しようと少し考えてはいたのだがそれは実現されなかった。自分でも少々めんどくささを感じるのに、その面倒な作業をフォローしてくれている人達に課すのはいかがなものか、と思いとどまったからだ。それにもはや500を超えると愛着も沸いてしまう。結局600を優に超え、1000なんてものもきっとすぐ来てしまうんだろうなと数年後のことを考えていたりもする。他の人はどうなんだろう、とふと気になったのでなんとなくストーリーの欄にいた映画監督であり写真家の枝優香さんのプロフページに飛んだ。1002投稿とあったのでそれはそれでホッとした。そもそも投稿数なんて部分は普段から積極的に目にはしていないのかもしれない。




生きてるか生きてないか。ツイッターは死んでいて、インスタは生きている。その差はなんなのか、死んでいるとはどういうことなのか。この下に書いても良いのだがそうなるとまだまだ長くなりそうなので2分割させたい。バイト中、本棚の前で考えをめぐらせている時、「マメだから合ってますよね、書籍は本棚も多いし」と言われたことを思い出す。自分のことをそういう性格だと思ったことはあまり、というかほとんどなかったのだけれど、初めてその時そう言われて、そして今、確かに腑に落ちるところはあったりするのかも、と思ったりする。