晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0417 完全自粛生活7日目

自粛している間、煙草を吸う時間が多くなったように思う。日常サイクルがおかしくて眠れない時、いつのまにか眠らずにこうして朝を迎えた時、1本で充分に思う日もあれば、寒さで手がかじかみながらも最大5本、吸い終わっている日もある。5時38分。空はすっかり明るい。すぐそばを走る道路に車通りはまだ少ないのか、一日こうなのかはわからないけれどきっとこれくらいの音の感覚が心地いい。なにかに似てるな、と思えば夏に家族や親戚たちとよく行ったキャンプの日の朝か、と思い当たった。暑さとテントの狭苦しさで目が覚めて、隣に寝ている従姉妹をおこさないように這い出ると外はいつもこんな明るさで、静けさもよくよく似ている。もう暫く行かなくなった。みな成長してどんどん夏休みのスケジュールが合わなくなって、いつのまにかなくなっていた。寂しいとも思わなくなって、だいぶ経った。あの川の冷たさ、流れの速さはなぜか相も変わらず覚えているのに。




父と母から別々によくLINEが送られてくる。夜ご飯を食べに来い、と2人とも同じような文章なのだが、昨日の夜は母が餃子を買ったというので自転車でさっと向かった。「なんか食べたいもんあったらつくるけど〜」という文面に「からあげかな!」と返信する自分はお子様なのだろうか、なんてことを思いつつ。そういえばその少し前にも同じことを聞かれた時に「ハンバーグかな!もしくはカレー!」なんて言っていた気がする。おおよそ22歳が親に対してリクエストする料理のレパートリーとしてはいかがなものか、とは思うが、その日のハンバーグは美味しかった。唐揚げも久しく食べるとやっぱり美味しい。帰るとかならず2階を改築する話、仕事がなくて収入が減るならこっちに帰って来たらどうかという話、休業補償はどうするのかという話、相変わらず流行りまくっているウイルスがどうのこうのという話、が雨のように降ってくる。いろいろ考えてしまう。話す相手がいなくて寂しいのかな、とか、やっぱり不安なのかな、とか、心配されてるんだろうな、とか、いろいろ。ずっと家にいるのか、と聞かれたので「仕事無くなったからおるよ。本ばっかり読んでる」と言うと、「えらいなー。あたしやったら絶対外出てるわ」と母は言った。そうなのか、と、そんなもんか、とわたしはテレビを見ながら思った。



寂しくないと言えば嘘になる。完全に家を出なくなってから3日目くらいは本当に気が狂うかと思うほどだった。読書も言うほど進みやしないし、かと言ってそんなに凝った料理やデザートを作ろうという気もあまりおきなくて八方塞がりで。7日目に入ってもわりとそれは変わらないのだけれど、もし、ずっとこうなのだとしたら、というのを最近はよく考える、考えてしまう、不幸にも。ずっと、ライブもだめ、居酒屋にも行けない、本屋も閉店、バイト先も閉店もしくは営業時間短縮、なるべく人との接触は避けてください、感染したら隔離されます、病状は悪化するかもしれません。そんな世界になってしまったとしたら、どうすればいいんだろう。「慣れるかもしれない」友人はそう言っていたけど、そりゃいつかは慣れるかもしれない。なにもかもがオンライン通信になって、なにもかもがそういうぬくもりの全くないものばかりに頼りきった生活。でもやっぱりそれは、寂しいことだなと思うのは、ずっと変わらないから。この自粛期間が終わって真っ先に会える人は誰なんだろう、最初に何を食べに行こうか、どこにいこうか。そういうのを考えながら、今日もたぶん、乗り越えていく。そうこうしているうちに6時をまわったので、ほんの少しだけカーテンを開けてほんの少しだけ伸びをした。朝に日記を書き終えたのは、たぶん初めてだ。


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