晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0401

いま流行っているものが流行っていなかったら、とか、もし大学生をちゃんと続けていたら、とか、もし鎌倉のゲストハウスの住み込みスタッフに応募するのをやっぱりやめていたら、とか、いろんなことを考えていろんな未来を想像してみるけどけっきょくは今が良いんだ、とそう思えてることにひどく安心する。やっと『今がいちばん良い』と思えるようになって、楽しかったり、それでも苦しかったり悩んだりすることもあるけどでも、どこかそうなってしまうからこそ生きてる心地がするというか実感があるというか、ありがたい刺激をもらって、毎日を生きることができている、気がする。3月があっと声も出ないうちに通り過ぎ、4月になった。たくさんの友人がたくさんのあたらしい道に進んでいった。自宅待機やら自宅で課題をやらされているやら、いろいろあるだろうけれど元気に、そしてほどほどにね、と大きな声で優しく伝えたい。だれの心を痛めるようなこともないように。落ち着いたら飲みに行こうね。



そんな3月いっぱいで大好きな先輩がまた1人退職していった。おっちょこちょいで鈍臭いわたしをいつもいつも見守ってくれたこと。「ちょっとおバカだけど物覚えはいいよな」と言ってくれたこと。笑顔とユーモアがほんとうに素敵だった。もう一緒に働けない、職場に行っても会うことは無い。その実感が沸かないのは、きっとまた会えると知ってるからだ。出会いと別れは何度体験したってさみしいけど、会いたいという気持ちがあれば会うことができることをわたしはちゃんと知ってる。会いたいと言えば、伝えることができれば「会おうよ」となれる人と出会えたそのことに感謝をしたい。気分が滅入る毎日を過ごしているが、これからも会いたい人が元気でいてくれればそれでいいと、そう思えるくらいの余裕があればきっといいはず。会わないという愛の形も、あるはずだから。