晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0319

3月19日、多分晴れ。カーテンから覗く朝日が明るいから今日はきっと晴れなんだろうと思う。今日は上手く眠れなかった。2時半くらいまで実家にいて、そこからのそりのそりと自分の部屋に帰ってきたのがたぶん3時くらいで、そこから目が覚めてしまった。5時半とかだった。最近ひどく寂しい気がして、物忘れも、うっかりもなんか多いし、あれ、これってもしかしていろいろキャパオーバーなのかな、脳がバグってる?なんて思うけど時間は止まってくれないから今日という一日がまた来てしまって、ああ、動かなきゃな、なんて思いながら目を開く。体を起こす。カーテンを開ける。眩しい。



YouTubeを久しく開いてインディーズのバンドや前から気になっていたバンドの曲を何曲か聞いた。またスクロールすると星野源の新曲が引っかかったので、それも聞いた。『私』というアコースティック調のその曲は、私が星野源の楽曲の中でいちばん好きな『くだらないの中に』を彷彿とさせるような、和やかで、ありふれた日常風景が目に浮かぶような、でも星野源にしか歌えない・つくれない、すごくいい歌だった。彼はとてもじゃないが苦労人すぎる、という話をどこかで読むか聞くか、何かをした記憶がある。病気になったりで体を悪くしたことがあるだとか、それでも今の今まで音楽活動というものを続けて、やり続けてきていてそして今、私の心を強く揺さぶる曲を、また生み出してくれているだとか。


なにかをやり続けること、その道を歩み続けること、進み続けること。それはその人の努力があってこそのものだから、そういう姿はひどく美しく目に映る。『髪の毛の匂いがパンのよう』よりも好きな歌詞は、この先死ぬまで生まれることはきっとない。そんなことを思いながら、今日は星野源を聴く。今日も星野源という人間は、誰かのあこがれとして、期待を受け、若い女の子にキャーキャー言われ、どこかで歌を、いつもの綺麗な声で、うつくしく歌っていることだろう。