晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

1016

金木犀金木犀の匂い、それらにピンとこないまま10月16日水曜日がやってきた。いつのまにか10月の真ん中を通り過ぎている。2020年元旦まではこの日を足して残り77日になるらしい。ラッキーダブルセブンだなんだとはもうなんだか言ってられないなと思った。2019年が終わる、確実に終わりを迎えようとしている。そう自分で人差し指を動かして書いてみて、たしか2019年が始まる時に書いた日記に「年が変わるからと言って自分の課題が帳消しになるわけでなない」というような文章を書いたことを思い出した。読んだ本の中で村上龍がそう言っていたのだ。衝撃的だった。そりゃそうだ、とも思ってはいたが、それをまざまざと言いつけられてしまってその時はとにかく苦しかった。今年はどんな年だったんだろう。また目まぐるしかった、と言ってぽろりとこの年も終えてしまう気がしている。ただただ何かが変わる気がしていたのに、どう比べたってほんの少ししか自分の現状は変わっていなくてうんざりもしているが、あと77日。なにができるだろうか。なにかまだ、あがくことができるんだろうか。最近よく月を見かけるからどうすれば月を綺麗に写真におさめられるのかと試行錯誤しているがそれすらもなにも変えられないのにこの先そんな数日でなにかを変える、なんてことは今の自分にできるんだろうか。スマホで綺麗に月を撮りたい。でもアイフォンにするつもりはさらさらない。



あと三日後、10月19日土曜日に控えているAge Factoryのワンマンツアー『HOPE』のファイナル公演がどうやらもうすぐ完売するらしい。キャパはおそらく900。思い切って後ろの方で見るだけでも、音を聞くだけでも、その場にいるだけだったっていいから飛び込んでやろうとチケットをとる寸前までいった、そのページで見た数字は紛れもなく『848』だった。末恐ろしいなと思った。身震いもしたような気がする。完売する。ソールドアウトしてしまう。しなくたってもうしたようなものだと瞬時に思った。奈良で感じたあの、重く暑苦しいほどの熱量の何倍アツくアツく感じられることだろうか。エイジを好きな人間が800人を超える数で会場に押し寄せるのだ。それが何より羨ましくて仕方がない。だから、より行きたくなった観たくなってしまった、がしばらく迷った結果、結局その先へのページへは進むことはできなかった。しなかった。自分自身で私は行かないことを選択した。



難しい。折り合いをつけること、諦めること、もしかしたらもう彼らのライブは見れなくなるかもしれないというリスクを背負うこと。ライブは生だ。その瞬間に生まれたものはもうこの先金輪際二度と、目にすること耳にすることはできない。それを見に行くか、見に行かないか。見に行く時間を無理やりにでも作るか作ろうとするか、否か。ああ難しいなと思った。そして考えれば考えるほど「好きなら見に行けばええやん」と軽々しく言い放つ自分の声がうるさいなと思った。うるさい。うるさい、わかってんだよこっちは。そう簡単に言うなよ馬鹿。わかってんだよ。わかってんだよ、そんなこと。そういう時バンドが好きな人たちは一体どうしているんだろうか。私は至極単純な人間なのでそのライブが終わって、続々SNSにあげられていくライブ写真をマジマジと見て、「ア〜〜行きたかったなやっぱり〜!」と1日(もしくは2日)ほど悶えていればおおかた落ち着いてしまう。終わってしまえばそれまでだし、それは行ってしまえばそれまでだ、とも言えるんだろうけれど。



11月の初めからはLAMP IN TERRENのワンマンツアー『Blood』もとうとう始まるし、11月4日にはずっとずーっとひたすらに楽しみにしていた感覚ピエロの史上最高規模のワンマンライブ 幕張メッセ公演 が待ち構えている。私は私の思うがままにこの3つのバンドを好きになった。初めは『ライブにとりあえず行ってみよう』ではあったが、そもそも「ライブにとりあえず行ってみっかなー」となったのがこの3バンドだった。振り回されるのは本望。行けないライブに思いを馳せては苦しくなってしまうのも、それはそれで本望だ。そうやってどうにかして、どうにかなってでも少しずつ、少しでもたくさん彼らに触れていたい。悩んで悩んで、切羽詰まって、でも結局後に後悔したって観てしまいたい!と思って観にいくことだってあるだろう。ただ今は思う。かっこいい彼らをこの目に焼き付けることの出来るような選択をこれから先、なるべくたくさんしていきたいと、そう思ってならない。