晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0611

なにをしよう、なにをしなければいけない?考えたつもりで、でもやっぱり何も考えないままに宿をゆるりと飛び出した昼間。お腹が空いているけれど食べるのがめんどくさくてまた何も食べない。韓国料理屋をちょっと覗く。でもやめる。

映画を見た。僕はイエス様が嫌い。帰りの電車で本を読んだ。棄国子女。なぜだかたまたまこの組み合わせになったんだろうに、どこかが、なにかが、うまくリンクしてる気がして元気がなくなっていく。落ちていく。昔のことを思い出してしまった。

映画はとてもよかった。ちょっぴり泣く。声も出してしまい反省。つい、ついね。

どうすればいいかわからないままに神への祈りをささげる少年。願いをいえば叶っていく。でもなぜ祈るのか、神様はいるのか。そういうことを何も知らずに、ただ祈るだけ。のちに友達ができる。サッカーがうまくて、かっこよくて、人気者。後、その友達のために、たしかに神に祈らなければいけない日がやってくる。でもそれは叶わない。叶わなかったけど、なぜ祈るのか、その時点で少年は切なくも知ってしまう。なぜなのか。なぜそうするべきなのか。それは大事じゃないような気もしてしまうのだけれど、子供のように『なぜ?』を感じないままに過ごしていければいいのだけれど、そうはいかない。無垢な少年の心が雪の白と同化していくようで、その雪に顔を、体を埋めたくなる。何もかも放り出して、何もかもを受け止めてくれるその白に。

命よりも大切なものなどないとよく耳にする。それはそうなのだろうが、じゃあなぜ人は死んでいくのか。それは仕方のないことなのか。その本にはこう綴られていた。

帰国後すぐに音信不通になった人がいた。彼女はおそらく自殺してしまったのだと思う。一目で彼女が鬱であることはわかったのだが、結局どうすることもできなかった。私自身が鬱状態だったからこそ、誰の言うことも耳を貸さないこともわかっていた。(中略)他人が手を貸すことはできない。負のスパイラルからは自力でしか抜け出せない。

その後には『私が彼女であったかもしれないし
彼女が私であったかもしれない。』とも綴られている。まだこれから読み進めていくため感想はその時に。前半はしんどい。とにかく辛い。でもどこか、この本を読み終わった後は救われた気持ちになるであろうことを期待している自分もいる。積読をとにかく解消したい。また図書館通いも再開したいところだ。読みたい本ばかりが溢れていく。したいことばかりが、そうなると次はまた、しなければいけないことが滞ってしまう。整理をしなければ!