晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

0623 世界はきっと、これも愛と呼んでくれる

鼻をスンと鳴らすとまだ涙が出てきそうな気がして思わず上を向く。大好きな友人が結婚式を挙げた、もうその二次会朝帰りの帰路だというのに鼻の奥がほんの少しだけ痛い。片手には100円ローソンで買った自分の生活を共にしてくれる割引食材たち、耳につけたいつものヘッドホンからは、サンボマスターの『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』が流れてきていておのずと耳をすませたりしている。


音楽は記憶を上手くよく引き出してくれるとどこかで聞いたことがある。どうも、音によって脳にある記憶と密接な関係のある海馬という場所が刺激され、より多くの情報を同時に記憶しようと自然としてくれるから、らしい。


「新しい日々を変えるのは いじらしい程の愛なのさ」
「僕等 それを 確かめ合う」
「世界はそれも 愛と呼ぶんだぜ」


そこまで聞いて、ふと、ああそうか、と思い、脳内で独りでにわたしはつぶやいていた。自分のあの気持ちも、ちゃんと愛だったんだ、と。わたしの彼女への感謝の気持ちもちゃんと愛だったんだ、と。サンボマスターにそう肯定された気がして、やっぱりちょっとだけ泣いた。愛だよ、と自分で言うのは気恥ずかしすぎるけれど、サンボマスターに言われるならそれもいいなと思えてしまう、強くたくましい歌の力はありがたい。









友人代表スピーチでわたしは、彼女に伝えたいことをすべて、うまく伝えられたのだろうか、とつい、考えてしまう。2ヶ月くらい前だったか、やらないか、と打診を受けたのはそれくらい前だったのに完成したのは前日の夜、いや、もはや当日の朝2時だった。やらなくては、作らなくては、書かなくては。そう思いながらもうまく身が、気が入らず、結局原稿ができたのが前日で、でもって当日の行き道ですらスマホで追加の原稿をつくる、なんてこともしていたくらいで。でも2分だか3分だが、あの時間は一瞬だった。よかったよ、文章上手いね、めちゃくちゃ良かった、そう言ってもらえることは多かった。それならよかった、と胸を撫で下ろす。でもきっと、いや、そもそもそんな少ない時間では彼女への祝福の気持ちと感謝の想いはすべて、伝えきれやしないはずなのだ。でもきっと、世界はそれもちゃんと愛と呼んでくれるんだろう。だって、サンボマスターがしゃがれた声でそう言うんだから。





世界はそれを愛と呼ぶんだぜ。生活しているうちにサンボマスターのその歌を偶然聞く、そんなタイミングはもしかすると一生来ないかもしれない。サンボマスターなんてもうどこの店に行ったって店内でかけられていることはほとんどないんだろう、おそらく。でもいつか、いつかどこかでこの歌を聞いたならば、私は絶対に昨日のあの時あの瞬間、スピーチでもっと伝えたいことがあったのに伝えきれなかったもの惜しさとか料理の美味しさとか、ずっと、ずっと幸せすぎて堪らなくて涙も留まることを知らなかった、そんなこととかをきっと、よくよく思い出すんだろう。一生の思い出だ、と思う。すごくすごく大事な、大切な、大好きな思い出だと、そうつよく思う。結婚おめでとう。わたしはもう、なんかもう、幸せだったりするんだよな、これはこれで。