晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

「小説、自分で書かないんですか?」

小説を人はどう生みだしているのかずっと気になっていた。無から何かを生み出し、この世のどこにもない登場人物とストーリーをつくり上げ、自らの文章の中で泳がせ、走り、動かし、そしてひとつの作品として完成させる。よく分からないな、とずっとずっと思っていた。7、8年くらい前からぽつりぽつりとここで自分自身の日記や記録をつけているだけの人間からしたら、自分のものではない物語を想像や妄想だけで紡いでいく、それはかなり不可思議で、かつ信じられないことだから。でもこの世には小説が溢れんばかりに存在する。いつ、どの本屋に行っても文庫・単行本の本棚はずらりと綺麗に背表紙が並んだり表紙を面に出されて所狭しと並べられている。全部、本当にこの世にあるそれらを全て読みたくっても完全に不可能で、もっと細かなことまで言えば読もう読もうとしているうちにこの世に出回らなくなってしまう、そんな本だってあるかもしれない、知らずのうちに。だからこそ出会えたならばそれはたしかに貴重であり大切にしたいと思えるのだけれど、じゃあ、わたしはそれをつくりだすことができるのだろうか、無から。ゼロからどう作り出せるのだろう?ゼロから彼ら彼女らは一体どう作り出しているのだろうか?勿論、きっといろんな方法があるのだろう。




鎌倉でゲストハウスのスタッフをしていたとき、そういえば学生の頃から文芸部に入っていて自分で小説を書いている、という男の子に出会ったことをなんとなくぼんやりと思い出す。大人しめの風貌で、黒髪で、くりりとした瞳をしていたように記憶している、そんな彼に「小説、自分で書かないんですか?」と聞かれたのはあの茶色いゴミ箱の前で、2人は立って向かい合っている。さて、そのときのわたしはどう答えたんだっただろうか。そしてまだ、彼は物語を紡いでいるのだろうか?

27年生きてきた、そんな自分の人生で小説を書いている人に実際に友人として出会ったのはそれが最初だからなのか、小説を書いてみたいかもなあとそう思う時、わたしは必ず彼のことを独りでによくよく思い出す。思い出しては、「書きたいかも、今は。ちょっと」と今なら答えられるような気がすると、そう思ったりも、している。