晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0112 よしなに、2023年

わたしはいつか大阪に帰るんだろうか、と考えることがある。帰るんだろうか、いや、帰ることができるんだろうか、いやいやむしろもう帰りたい、と。家から、大阪から早く抜け出したくて抜け出したくてしょうがなくて、1年間大阪から鎌倉へ旅もどき、みたいなことをしていたりどうにかこうにか関東での一人暮らしを今、していたりするのに、「大阪にいつか帰りたい。むしろ今すぐにでも帰りたい」と。そうなぜか頭の片隅で思い、願っている自分がいることにふと気付くタイミングがある。でもそういうタイミングの時ほど、大阪には簡単になんて帰れない理由があったりして、わたしはだいたいタイミングが良すぎるか、悪すぎるか、の2択しかないらしい。




暗い話から始まったが、2023年が明けたらしい。年をまたぐ、というのは何年経っても何歳になっても気持ちをふわふわとさせたりピシッとさせたりする、どうにもこうにも不思議なものだな、と思うのだけれど、365日をまたひとつ自分は過ごしていたんだなあ、と思うと確かに漠然と「すごいな」と思ったりもする。2022年はわりと様々なことがあり、いろんな転機が訪れに訪れていた年だったし新しい今の仕事にありつけたのも去年の話で、めまぐるしく、騒がしい1年だった。今年はどんな年になるだろうか。抱負としては『体を動かす』『体を少しは引き締める』などと“運動”の気持ちを表明しておくが、そうやってのんびり体を動かしたりできるよう、落ち着いた1年にしたい、気持ちがある、気がする。手に職をつけながら、また2023年も、それとなく、それとなく、流れるように、日々を過ごしていきたい。そしてその中でゆっくりと、着実に、少しずつでも成長できればうれしいんだと思う。

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。こんなぽつりぽつりな独り言も、ひとり、ふたり、誰かが読んでくれているんだ、と思うとそれだけでなにかが救われる気がしているし、その中で自分も誰かを救えていたらいいな、と大袈裟ながらに、また図々しいながらにもつよくおもっています。2023年、誰も彼もが、少なくとも自分の日記を読んでいる誰かくらいは健康で安全に、健やかに、ゆったり生きていけますように。どうぞ、よしなに。