晴耕雨読

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忘れてしまうから残す

1209 『仕事が楽しい』ってなんなんだろう

新しい仕事を始めて1ヶ月が経った。いつのまにかマフラーをしても手袋をしてもなんのおかしさもない季節になっていて、来月はもう2023年らしい。なので最近はさてはて年末年始をどうしようか、と考えている。実家に帰ればいいような気もしているし帰るための理由もいろいろとある気がするし実際のところ普通に考えて帰るべき、のような気もするけれどどうにもこうにもあんまりにも、実家に帰る気にはとうていなれず、でも多分そろそろ「年末帰ってくるんか〜?」と催促メッセージが届く気がしていてどうしたものか、と若干頭を抱えていたり。実家に帰る、というよりも友人と会いたい気もしているし、ばあちゃんの顔を見たいような気もしているし……でもそれもこれも今言ったのも全部、“母や父と話をしたくない”というただの我儘、“逃げ”から来るものなのだ、ということも分かっていて、泣きたくなる。逃げているのは自分なのに、そんなの勝手に泣いてろよという感じなのだけれど、母はそんなわたしに「楽しく働いてくれてればいいから〜」ともメッセージを送ってくれている。そう書いてはまたぽろっと泣く。いや、違う、違うぞ。こんなセンチメンタルなことを書くためにこの日記を描き始めたのではない。『仕事が楽しい』ってなんなんだろう、というのを書くために書き始めたのだ。まあこの設問もセンチメンタルなものかもしれないんだけど。






『仕事が楽しい』とはなんなんだろうか。色々考えているうちにそもそも『仕事』というものが『楽しい』ものなのか、『楽し』くあるべきなのか、ということも考えるべき題材のような気がし始めたりもしているし、仕事を続けるにおいて『仕事が楽しい』というもの(もの?感情?)が必要なのか、もそれのうちに入るような気もしているけれど、じゃあ『仕事が楽しい』と思えていないのにその仕事を続けているのってどういう気持ちなんですか?給料ですか?安定ですか?でもそれだと精神が削られていきませんか?何をモチベーションに?どうして?と全部をまるっとすべて聞いてみたくなる。わたしは『仕事が楽しい』と思えていないのにそれらをこれからも続けていたい、と無償ではやはり思えないし、続けていられるほど我慢強い人間でもないので、ぜひに聞いてみたい。その仕事って『楽しい』ですか。なにが『楽しい』ですか。『楽しい』から続けられてるんですか。『楽し』くないと続けられなくないですか。あの、じゃあ1ヶ月しかまだ経ってないんですけど今の仕事、『楽しい』があまり感じられなくて、というか見つけられなくてっていうか、とにかくもどかしいんですがどうしたらいいですか?え?いや、別に『楽し』くないんじゃなくて『楽しい』って思えてないだけで。いや、だから『楽し』くないって言ってるんじゃなくて、そう言いたいんじゃなくて、たぶん、この仕事の『楽しい』を見つけたいんですよ、わたし。






この仕事に応募した時のエントリーフォームを見返してみると「まだどこかにいるであろうこの店のこの場を必要としている人に届けたい」と書いていた。この仕事におけるわたしの『楽しい』は、これに繋がっていくと『楽しい』と感じられるんだろうか。そうなると、今繰り返しやっている、でもなかなか掴むことができなくて難しい…と思っていることたちもそれの基盤となるもので、ずっと続けてなんなくできるようになるとそれにすうっと繋がっていくんだろうか。続けていけば、わたしはいつか「まだどこかにいるであろうこの店のこの場を必要としている人に届けたい」というのを叶える?遂行?実行?できるんだろうか?自分で書きながらこんなことを言うのもあれだがそろそろ今日の日記も終盤で、どうやらこのままなんの答えもでないまま終えるらしい。ちなみに明日はどうやら親知らずに苦しんでおり歯医者にも行かざるを得なくなった高校からの友人と遊ぶ予定だ。大丈夫だろうか、親知らずはめちゃくちゃ痛い、とか、顔が腫れる、とか聞くけれど。そう思うとうだうだと悩んだりぐたぐだと勝手に1人で考えたりすることが多いだけで自分って身体だけはどうしたって丈夫なんだよなあ、と思ってちょっと笑った。食べたいものを食べているからだろうか。どうだろうか。