晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

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ファッションは自由だ。隣のお姉さんから漂ってくる香水の匂いがキツく感じたって、小学生の頃に入っていたサッカークラブでも冬によく着ていた丈が長くて暖かいベンチコートを黒マスクのお兄さんが着こなしていたって、いかにも疲れ果てました感たっぷりのスーツのおじさんがピンクと白のストライプシャツを着ていたって、わたしもインスタグラムでよく知っていていつかは欲しいなと思っていた、かわいいキャラクターが背面全体に描かれたブランドのジャケットを着ているのに黒いリュックをすぐに背負ってしまってまるっきり隠れてしまうのがもったいないなーなんてわたしが勝手に思ったって、自由だ、ファッションは。なのに、なぜなのか。どのファッションがダサくてどのファッションがオシャレで、なんてなんでぼんやりとだとしても存在してるんだろう。なんでオシャレになりたいと人は、わたしは思うんだろう。思ってしまうんだろう。めんどくさい。そこには必ずどこぞやかにいる知らない、一言も喋ったことの無いであろう他人の目に怯えている自分がいるのであろう? 大いにめんどくさい。本当は何も考えずに好きなものを好きなだけ身につけたい。ごちゃごちゃしてたって、カラフルになってしまったっていいじゃないか。そう思いつつも『色は基本的に3色まで』が無難だろうなと頭に浮かべながら日々着ていく服を考えるし、これとこれを着たいけど実際に着てみて鏡に向かって見たら、うん、これはなんか違う、これはダサイ、と明らかに判断できてしまうものはやっぱり、着て出かけるなんてことはしない。オシャレな人は存在するし、ダサイ人もまた、たしかにどこかには存在する。でも誰かのオシャレは誰かのダサイにもなりうるんだろうし、だれかのダサイがまた誰かのオシャレにだってなりうるんだろう?と思うと、もうなんでもいいやと投げ出したくなる。ドミコの『服を貸して』をSpotifyで探して流した。もうすぐ最寄りの駅に着いてしまう。今日は寒い。というか駅構内に吹く風が冷たくて寒い。勘弁してほしい。もこもこのほかほかの布団にくるまってもうすぐにでも眠りたい。