晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

1031 本と本が好きな人たちを自分なりにもっとずっと大事にできたならばそれが、

1時間と少し滞在していた喫茶店を追い出された。見たかった映画『時計じかけのオレンジ』をやっと見ることが出来て嬉しかったしなかなか興味深かった。風呂に入ったら足に点々とアザがたくさんできていて力仕事のバイトは怖いなと思った。お釣りを貰う時自然と「ありがとうございます」と小声だけど言っている自分に気づいてなんか気持ちが良かった。WANIMAの良さがやっと分かってWANIMAって凄いんやなと思った。『舟を編む』を今更読んでいるけれどすごくいい本で、実写映画でこの主人公に松田龍平をキャスティングしているのは大正解すぎるなと感心した。やりたいことが、見つかった。ほんの少しだけ泣いた。



本屋になりたい。本に携わる仕事がしたい。鎌倉で数ヶ月過ごしてわたしが出した結論は精一杯、たったそれだけだった。その後なにかアクションを起こせたわけじゃなかった。ただ自分のやりたいのであろうことが見つかって、ああそうなんだ、そうだったんだなあと納得するだけだった。この話の流れじゃなかったかもしれないけれど、「じゃあなんで具体的に動こうとしないの?具体的に動こうとしない、躊躇させるようななにかが自分の中にあるんじゃない?」という風なことを言われた、あの日あの場所、あの時間をハッと思い出す。あの時は、上手く答えられなかった。元々自分の思っていることを人に詳しく正しく、鮮明に伝えるのが苦手なわたしは戸惑った。それも、かなり。具体的に動こうとしない、自分の行動を制限するような、躊躇させてしまうようななにか。


そして、やっと気づいた。わたしは別に、本屋になりたいわけじゃあなかったんだ、と。これはたぶんずっと、ずっと思っていたことだったんじゃないか、とも思った。読んだことの無い本を売りたいと、わたしはどうも思えなかったから。本を読まない人にどうやったら読んでもらえるか、どうすれば本を好きになってもらえるか、それを考えるのもわたしはあまり好きではないなと心のどこかで思っていたから。


わたしは、本が好きな人たちを、読書が好きな人たちをもっとずっと、大事にしたい。もっともっと好きになりたい。その人たちのことも、本のことも、読書が好きな自分のことも、もっと。そうだ、わたしは『好きなこと』をなによりも大事にしたいと強く思う人間だった。『好き』はなによりも人を惹き付ける。それがいつか、読書が苦手な誰かに届くならそれが本当に望んでいる、まさに本望というもの。わたしのやりたいことは本屋ではなかった。でも本も、もちろん関わっている。わたしを形成する上で、わたしを説明する上で欠かすことのできないものなのだから当たり前である。なりたいものは本屋ではないけれど、本屋になりたいと思っていたあの時の自分も、今の自分を生まれさせるには必要な自分だった。ここまで来るのにひどく長く感じた。長かった。長かったゆえに、今掴んだそれを、わたしはきっと手放すことは無いだろう。




今朝、バイト終わりにイチョウの葉っぱを見つけた。植物の中でいちばんイチョウの葉っぱが好きかもそれない。2位はもみじだろうか。あの赤ともオレンジともいえない、言葉にはしがたい、まるで夕陽をそのまま生き写したような、あの鮮やかで美しい色合いの頃のもみじが好きだ。生ぬるさのない、これから少しずつ冷たさが増していくんだろうなと感じるような、そんな冷ややかな風も好きで、この季節に漕ぐ自転車はいつも気持ちがいい。お願いだからまだ、あの寒さで凍えてしまうだけのような冬にはならないでほしいなと願う。もう少しだけ、ほんのもう少しだけでいいから秋がいい。左手でクルクルとイチョウの葉っぱを回す。イチョウの葉っぱはどうしてこんな形をしているんだろう。どうして黄色くなるんだろう。どうしてこんなにかわいいんだろう。そう思いながらこの写真を撮ったんだったか。ああ、好きだな。秋がすごく好きだ。


f:id:tum__zum:20191031201805j:plain