晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

制汗剤の正解が分からないまま、夏

子供の頃から人より汗を多くかく自分のことだけは、ひどくひどく大嫌いだった。「代謝がいいんだよ」という母だか誰だか、の言葉で謎にだましだまし今までやってきた訳だが、高校の頃なんかは部活でかきまくる汗のせいで「あ、ごめん今めちゃくちゃ汗かいてるから近づかんといて」と何度言ったか分からないし肩を組むなんてもってのほかだったし、Tシャツは背中一面汗でびっしょり、なんてことはいつものことだった。小学生の頃には脇汗パッドなるものを母から(たぶんこっそり)借りて使っていたりもしたし、そういえば外の部活を6年間もやっていたくせに「どうせ汗で流れていくから」と日焼け止めなんてめったに塗っていなかったような記憶もあったりする。おかげで今でもポツポツとそばかすが頬や鼻の上あたりにあったりするのだけれど、多汗症なのだろうか、と思うことはたしかに今でもあったが別に病院にかかったりもしていないのでよく分からない。ただただ今年も、ああ人より汗をかく自分の苦手な季節がやってきたな、という諦めの元、26歳、今年もミンミン、と暑すぎる夏を迎えている。とはいえ、去年はどうだったか忘れたけれど今年はちょっと制汗剤でも使ってみるかな、といくつか買って試してみていたりするのでなにやら心境の変化があるらしい。買ったのは脇汗用のコロコロするやつと、なんかいい匂いのするやつと、ちょっと冷たい気がする日焼け止めと、汗ふきシートと。でも、制汗剤ってちょっと正解がよくわかんないな、なんてことを思ったりする。正解、っていうか、いやまあ正解はあるんだろうけど制汗剤初心者すぎてまだしっくりこないことが多い、と言った方が合っているだろうか。汗ふきシートはその名も汗を拭くシートだから便利だとは思う。ヒンヤリしていて使い勝手もいい、だけどゴミが出るのが不便ではあるし、あと汗ふきシート特有の匂いが嫌な人は嫌だろうなあ、と思っているので好きな人や好きな友達に会う前はあんまり使いたくないかな、という印象。脇汗用のコロコロするやつはちょっとなんか効いているのかなんなのかイマイチ分かっていなくて不安だったりする。汗を止めるやつなのか、それとも匂いを抑えてくれているのか、なんだかそれすらも自分で判断ができておらず、じゃあもう次は9年連続ナンバーワン!とか書かれてる銀色のパッケージのやつでも買ってみるかな、と思ったりしている。あといい匂いのするやつは塗ってみたりはするのだけれど結局自分の匂いって自分じゃ分かりにくい、みたいなところがあるからこれも「果たして効いているのか…?」となっている。……え、制汗剤、みんななに使ってる?そもそも使ってる?みんな涼しい顔して裏ではちゃんと使ってるのか?そりゃ課金すれば良いものもあるだろうけど、なんかこう、汗かくのもめちゃくちゃ嫌いな訳では無いからお手軽にいきたいよね、っていう矛盾した気持ちがあったりするので自分のこういうところ、すごいめんどくさいよな、と書きながら思っていたりもしている。


別にだから、夏はそんなバカスカに言うほど嫌いなわけじゃあない。花火も見たいし手持ち花火もしたいし、縁日にも行きたい。ビーサン履いて海に行って足だけ入ったりもしたいし、BBQはもうしたからいいけどキャンプはちょっとしたいかも。そう考えると「ちょっと好き」くらいの感覚なのだろうか。半袖も好きだし。そんなこんなでいつのまにか7月が終わって8月、秋がもうちょっとずつ近づいてきているような気がするけれど、「暑いね」なんていいながら裏でしっかり制汗剤を使うような夏もそれなりにいいな、なんてことを思いながら過ごすこの夏は、もしかしたら去年よりもちょっぴり好きになれていたりするのかも、しれないね。

「自分は人に“かわいい”といつまで言い続けるのだろうか」と26歳になって考えてみた話①経緯編(三人称雑談放送【第449回】を聞いて)

好きな食べ物、好きな映画やドラマ、好きなモデル、好きな俳優、好きなアーティスト、そして、好きなアイドル。それらをひたすら増やし続けていたらもういつのまにか26歳になっていた。振り返ってみてもずっとなにかひとつ以上、好きなものや好きな人がいる忙しなくとも常に嬉々とした人生、いわゆるオタ活をし続けてきた人生がブワン、と広がっていて、かなり幸せだったな、と思う。それがとうとう揺らぐ、そういうのをもう辞めるタイミングが20代後半、26歳になりやって来たのかもしれない、そんな話をしたいと思う。


あのー、前置きとしておそらくかなりの長ったらしい記録、文章になるかもしれないです。うん。たぶんほんとに長くなるかも。タイトルにも書いたようにある実況者の雑談配信の中で話されていたことを経て考えるに至ったため、その経緯も書こうと思ってるっていうのがまあまず1番。あとまあその実況者さんについて詳しく説明もした方がこの話の意味が通じるような気もするところなのだけど、それはさすがに長くなりすぎるし、うまく説明できる気もしない(しちょこっと前の日記で書いているというのもある)ので申し訳ないのだが割愛させていただきたく。なるべくその実況者さんのことを知らない人でも分かりやすく書きたいと思って書いてはいるので許してほしい。分かりにくかったらごめんね。ぜひ動画とかも見てみてね。RAFTっていういかだ作って無人島?を漂流しながら巡っていくゲームの実況も面白いし、あとオーバークックも上手い(いや上手いのかは分からんそんなそのゲームのことを知らないので…)し、ボードゲームのやつは全部面白いよ。あとコンストラクションシュミレーターのやつも……いやまあそんなことは今はいい。はい、本文へどうぞ。








偶然だった。三人称という3人組のゲーム実況グループの動画を最近はつらつらと見ている、という話を前の日記(0703 世界は自分が思っているよりも広いし、わたしは26歳でターニングポイントを迎えているらしい - 晴耕雨読)にも書いたが、そのうちの一人、鉄塔さんというイメージカラーが緑の方のことが特に気になり始め、5月の深夜雑談配信(2回目)を見た日のこと。時々不定期にやっているらしいそれはわりと作業用BGMとしては聞き心地のいいもので、すでに1回目の分はその時点ではさらさらと聞き終えている。


www.youtube.com




ちなみに鉄塔さんは賽助(さいすけ)という名前で本をいくつか書いている作家さんでもあり(それはTwitterをフォローした時に認識)、それを知った時もわりとびっくりしたのだが、それよりもアハ体験をしたかのようにかなり驚いたのは、そんな著書のなかでも『今日もぼっちです。』の表紙を見た時だった。なんとその本が出版された時にわたしはちょうど遊べる本屋で書籍担当をしており、その表紙の本を仕入れて本棚に並べた時のことをハッ!と思い出したのだ。何故そこまで覚えていたのかは分からない。たくさん売れたのだろうか、それも特に覚えていないのだけれど……。いや、とにかく、ああ、この人だったのか、こんな人があの本を書いていたのか、と2,3年越しのアハ体験をした、という話。そういうこともあり、それに加えて自分がこうして物書きが好きだと言うのもあり、鉄塔さんが気になり始め……、がまあこの雑談配信への経由である。あ、あの別に読み飛ばしてくれても良かったので小文字にしたのだけれどここも丁寧に読んでくれた貴方、めちゃくちゃありがとうございます。さては書いてる文字全部読みたくなる人ですね?仲間です。




最初は初めから大人しく聞こうとしていた。でも1回目のときもそうだったがわりと初めの方でこの動画が2時間35分もあることに心が折れており(まあ結局は聞くんだけど)、あとわたしはYouTubeのコメント欄をわりとおもしろく読んでいる方で、気になるコメント内で丁寧に再生時間をピックアップしてくれていたらそこに飛んだりする、ということも多々していて。その時も同じようになんだか訳ありで気になるコメントを見つけたため、青く光る再生時間をタップして、なんとはなしに飛んだのだった。すこしだけそのコメント内容を引用すると「上手く話せなかった、話しきれなかったと聞いて安心しました」とのことで、それが2:14:17から。なのだが、ぴょん、と飛んで聴き始めてすぐ、わたしはあまり何の話をしているのか分かり切ることができなかった。なにやらリスナーとのやり取り?の中で齟齬があった、というような話をしていて、「雑談を聞いた人もいると思うし聞いていない人もいると思うんだけど」の鉄塔さんの言葉で、この鉄塔深夜雑談の配信の、その前にやっていた3人での雑談配信での話を踏まえて、のことのようだ、と分かった。分かったものの、やはりその話を振り返りつつさらに起こったことや思ったことを鉄塔さんが話続けるため、本元で話されていた話がどんなものなのかあまりしっかり理解が進まず。しかし、「あそこまで言うほど嫌だったか、と言われるとそこまでじゃないんだけど、今後増えたらやだなあ、とか思ったりなんかもしたりして」の言葉には後々すごく納得することとなる。



とはいえ分からないなりになにやら直感が「気になるぞこれは」と言っていたのか、そして自分にも関係しているようなトピックのような気がしたのか、ひとまずその2:14:17~の分だけを聞いて、その話の本元があるらしい雑談配信を探して聞いてみることにした。まあもちろんすぐにそんなものは見つかる。こちら、どん。



youtu.be



とりあえずすぐにコメント欄を漁り、その本元の話をしているところに飛んだ。それが37:14なのだが、鉄塔さんが「ちょっと最近思うことがありまして」という切り口で話し始める。ぺちゃんこさん(イメージカラーはピンク、以下、ぺーさん)、ドンピシャさん(イメージカラーは青、以下、ドンさん)、2人が「なになに?」「はいはい」と相槌を打つ中、鉄塔さんによる鉄塔さんがしている深夜雑談の時に思った話、が始まった。

「これはまあ、俺が悪いのか、カメラが良すぎたせいなのか……、結構その……、ビジュアルを褒められるコメントがけっこうあったのよ」


……ほう?と私はその時点でピンとくるなにかを感じる。たしか、そういえば鉄塔さんの深夜雑談(1回目)を見たとき、コメント欄の1番上にそういうコメントがあったな、と頭にすぐ浮かんだのだ。そしてそのコメントに(まあ確かに……43歳には見えないよなあこの人)と自分もわりかし近しいことを思ったことも同時に思い出し、なんだか不穏な気配。


動画の中の鉄塔さんはこうも続ける。あとちょっとドンさんとペーさんの反応もやや面白いものがあったので以下に切り抜いて引用したい。


でもまあそういういわゆるオタク用語?と言っていいのだろうか、特有の言語に疎いってことはそりゃかわいいとかかっこいいとか言われ慣れてるわきゃねえよな、と思ったのは思ったり。



鉄塔「多く見られたのが『ビジュアルが爆発している』という、ま、表現なんだけど、」

ドン「はいはいはい、『ビジュ(ビ↑ジュ↓)』がね」

鉄塔「多分ね、これ流行ってると思う。『ビジュ(ビ↑ジュ↓)が爆発してる』」

ドン「『ビジュ(ビ↑ジュ↓)』ね」

ペー「あ、そうなのか」

ドン「はいはいはいはい」


……そう、言われ慣れてるわきゃねえ、と思ったりもしたけどこれを書きながら動画を改めて何度も聞いていると、ドンさんのそのイントネーション間違いってわざとであってドンさんは実は知ってて、っていうユニークさもあったりすんのかな。そうだとしたらユニーカー過ぎるし天才だろ。あ、いや話が逸れる。失礼。



その後の鉄塔さんの話を聞いていると、話のおおよそ的には、『雑談配信はリスナーによるチャット書き込みに応えつつ進行していくものであるのが本質のため、そういう会話を加味せず独り言のように急にぽんっと「ビジュが爆発してる…」と書き込まれると戸惑うし、やっぱり嫌だなと思ってしまった』というようなことらしかった。


鉄塔さんはさらに例え話として(普通に例えるともちろんおかしいけど、と補足しつつ)、例えば会話を普通にしていて、そしたら急に横にパッて来て「あ、あ、爆発してるぅ、ビジュが」と言われるのとまあ似たような話、と話してくれる。それに関してはたしかに……とわたしもそう思った。まあそもそもあんまりYouTubeライブ配信でチャットを書き込むことはおろか、ライブ配信を見ることも、チャットを見ることもそもそもないので100%分かったわけではなかったし、(でもそういうのってわりかしよくあったりするのでは……?みんな自由にチャット欄って使ってそうなものだし)と若干思わないこともなかったはなかったのだが、話を続けて聞いていくと、なにやらこの話の根源であるなにかの片鱗が少しづつ見えてくることになる。

「だからもうちょっとTPOというか……、なんかこう、独り言を書き込む場所じゃないんだよな〜、みたいな。前後の流れがあって、コメントしてほしいなあっていう風にちょっと思ったんだよね」


鉄塔さんのその言葉に「たしかに最近増えたよね」と同意するペーさんとドンさん。……にしても改めて聞いてもちょっぴりガツン、と来る。『独り言を書き込む場所じゃない』この言葉にわたしは違和感というか、へ〜そうなんだ、そういうもんなんだ、と少し違う認識を持っていたらしいということにその瞬間、はた、と気付いたのだった。もっと聞いていくと理解しやすい話が出てくるのだが、どうもニコニコから始めてたりするとコメントを自由にさせときたいという気持ちがあったりする、とのこと。何でも言わせて、っていう流れもそれはそれで面白い、というのがあるらしい。まあそれは確かにそうかも。でもそうかあ、ニコニコかあ……通ってこなかったなわたしそういうのは、とわたしは独りでに思っていた。そもそもの立っている場所が、わたしと彼らでこう、なんだかまるっきり違うように思えた瞬間でもあった。


だからなんなんだろうな、結構そういう人が増えた……という話にはなんだか何となくわかるというか、感覚としては自分みたいにただただラフに三人称の動画を楽しむ人間がたくさん三人称のことを見始めたって意味なんじゃないのだろうか……?とも思ったりもした、のだけれど確証めいた情報があるわけでもないので言い切れはしないな、と思う。



続けてドンさんが言う。「実はけっこう前にもそういうようなことを言ったんだよね」と。次はそんなドンさんの言葉を引用したい。


「まあ僕らゲームしてるだけのおじさんですけど、ほんとありがたいことに、こんな僕らでも、かっこいいだの、かわいいだの、言ってくださる方たちがいるわけなんですよ。ありがたいことに」

「なんだけど、PUBGとかやってる時に、かっこいい、かわいいとかコメントでちょっとちらほら出てきちゃってて、その、なんでしょうねえ、ちょっとなんか、違うな、と俺はその時に感じて、1回言ったことがあったんですよね」

「うちら、そういうんじゃないよ、という。そういう感じの人たちじゃない、と」


……あー、まあそうだよなあ、という感じ。まあ分かる。『まあ僕らゲームしてるだけのおじさん』だから、『そういうんじゃないよ』と。わかる。まあわかるんだよなあ、……と思う反面、わたしちょっと “かわいい” って思っちゃったりしてたなあ、と何故かわたしはそこで勝手にぐさり、と傷付いていたりもして。しかも 「なんだ “かわいい” なこの人」とわりかし3人の中でも多めに思いつつあった(特にボドゲ回とかでの)ドンさんがそうはっきり言ったので、もっと、まあ勝手ではあるのだけれど、傷付いたらしかった。

いや傷付いた、と言うとなんか違うか、なんか相手に攻撃されたみたいなニュアンスになるし。反省?やってしまってた!という認識の誤りの認知?恥ずかしさ?うーん、うまい言葉が見当たらない。



ちなみにこの話が終わってからぺーさんが「話が変わったついでにいい?この際いいでしょ?」と話し出すまでの間の話はさすがのわたしでも「いやそれはそうやろ(苦笑)」と思ってしまったかなり常識的な話なのでここで詳しくは割愛。ぺーさんの「なんか『お母さん』が増えた。『うちの三人称がお世話になってますぅ』とかなんとか言う人はなんなの?」という話もまあ……私がしたい話に関わってはくるのだけれどわたしはぺーさんのお母さんみたいに振舞ったりはしてないしする気もないので割愛することにする。でもその話もちょっと興味深いし、当たり前にぺーさんに限らず配信者さんにももちろん限らず、わりと様々なジャンルの方々に対しての話でも有り得そうな話なので、機会があったらぜひ聞いてみてほしい。ぺーさんのストレートな物言いもわりとスッキリするし。うーん、3人バランス取れててやっぱおもしろいし聞き心地いいんだよなあ。




まあそろそろガチで普通に長くなりすぎたので一旦ここはもう①としてまとめに入りたい(足速ァ!)。


三人称の3人がしているこの話のつまりは、やはり鉄塔さんの言う、『雑談配信はリスナーによるチャット書き込みに応えつつ進行していくもの』だから、に倣って、『雑談配信だけでなく、そもそもライブチャットはその時の会話や状況に応じて使うものだから正しく使ってほしい』ということ、なのだろう。そこはたしかに新たな発見だった。唐突に自己中に送られてくる不快な文言が目につく、さすがにもう見逃せなかったから言うしかなかった、ということはわたしが思っているよりたくさん届いているのだろうなとも思ったし、まあもちろん、わたしもそんなことはしないでおこうな、と肝に銘じてみたり。そう、それはいい。それはいい、のだけれど。



わたしはここ1,2年で韓国アイドルのことを好きになり、楽しくオタ活、というものをしている人間なのでつい “かわいい” を多用してしまうところがある。“かわいい” には「好き」とか「顔がいい」とか、表情がいいとか……さまざまな要素が合わさっていて(そういえば多分この話を鉄塔さんか誰かもしていたかな)なんかもうめちゃくちゃ好きなんだけどとりあえず 「“かわいい”……」って言っちゃう、みたいな。


でも、それは、“かわいい” という文言はアイドルに向けるからお互い需要と供給、つまりは『わたしが “かわいい” と言える』と『ファンに “かわいい” と思ってもらえる』、が成立するだけの話であり、実況者の人はそうじゃない。いやまあ分かってはいたし知ってはいるけど。だってそれを売りにしてるわけではないから。そんなことをポンポンと目につくところで言われたって、まあうれしいけど「でも俺たちがほしいのってそうじゃないんだよな」になって需要と供給にはズレが生じていく。彼らの供給をごくごく単純に言うとするなら、『ゲームをより楽しんでもらう』だろうか。そうなるとわたしたち側の需要は『ゲームがより楽しくなる』だ。


……うーん、いやなんだかまとまらなくなってしまったので②で書こうと思います。でもひとまず経緯だけでも書くことができてよかった。ひとつ言えるのは別段、三人称の御三方の言わんとしてることなんで全く分からん!けしからん!もう見ないからな!!なんていう訳では毛頭ないです。御三方の言わんとしてることをしっかりわかった上で、理解した上で、ただ自分がすこし(勝手なりとも)モヤ〜〜ッとしたことがあり、うーん……悩んでいる、みたいな。なので②もまたすぐ書くつもりでいます。うーん、ほんと、“かわいい” って魔法の言葉のようでいてそうじゃないんだなっていうか、なんというか……。


ではこの辺で。

でもこう書き起こしてみると整理されていくような気がしていいな。うん。書くってやっぱりいいですね。あ〜いや〜なんだかなあ。

0703 世界は自分が思っているよりも広いし、わたしは26歳でターニングポイントを迎えているらしい

深夜5時に目が覚める。昨晩、お腹がすいていたけど作るのも何するのも面倒でそのまま寝てしまったために、低血糖なのかなんなのか身体が重く、起き上がる気力がなにも湧かずにいる。その姿勢のままスマホを弄りだし、なぜかSpotifyを開いて“最新情報”の欄から折坂悠太の新曲『あけぼの』をタップして流した。前奏が長かったが、折坂悠太のあの声が聞こえる。


すると何曲か聞いていくうちに「洗濯物をとりこまなくちゃ 君の街にも雨は降るのかい?」という歌詞がするっと耳に流れてきた。良いな、と思い誰のなんて言う曲なのか見に行ったらシャムキャッツの『洗濯物をとりこまなくちゃ』だった。聞いたことのあるシャムキャッツという名前と曲名のキャッチーさ。あまりにも良いなと思ったのでとりあえずお気に入りに入れて『7月知った曲』というプレイリストを作ってそこに『洗濯物をとりこまなくちゃ』を入れる。シャムキャッツってまだ活動してるのか?新曲ってあったりすんのかな、とアーティストページに飛ぶもあまり最近の曲はなさそうで、活動休止していそうだな、と思ってInstagramやらTwitterを開いたらやはりそうだった。Twitterに飛んだら固定されていたツイートにおそらく解散したのであろうことをお知らせするHPのリンクが貼り付けられていて、コメント欄には「10年間ありがとう」という声が書かれていたのでそれでなんとなく気付く。ふーん、そうなんだ、もう新しいシャムキャッツは聴けないのか、と思う。そこからなんとなくメンバーらしき人のTwitterを辿って行くと、元シャムキャッツのみんな、それぞれ新しいバンドをもう始めていたりなにかしらをしているらしい。色んな引用ツイートを辿り辿りしていく度、知らないバンドやアーティストたちが出てきて、ああここはわたしのまだ、なにも知らない世界だ、と思った。当たり前だが音楽の世界も、自分が知ってるものとは比べ物にならないくらい広くて深くて、おもしろい。



最近YouTubeでもその現象が起こっていたなそういえば、と思い返す。Among Usを始めた時に少し攻略法というかやり方というか、そういうゲーム系の動画を調べたことがあった。その時はぼんやりとした「ゲームしたいなあなんでもいいから」というミーハーな気持ちだった。でも、その頃からショート動画にゲーム配信系の動画をあげている人のものが流れ始めて、なんだか面白い配信をする人なんかをチャンネル登録してみたり動画を見ていたりする内に、YouTubeはどんどん、前よりわたしにもっとずっと新しい世界を見せてくれるようになった。世界は広いな、と思った。YouTubeをやってる人ってほんとにたくさんいるんだ、知らないだけで、ほんとうにたくさん、と。ゲーム配信をしている人達はみんな、楽しそうに見える。負けて悔しがっていたり上手く出来なくて叫び声を上げていたり悪態を付くこともあるみたいだけど、好きだから配信をしているんだな、という人ばかりで、すごくおもしろい。今のブームは三人称という名前?でゲーム動画を配信している鉄塔さん、どんぴしゃさん、ぺちゃんこさん、という3人のおじさんたちだ。声が好きなのかキャラクター性が好きなのか、動画をつらつらと見てはツッコミをいれつつも「かわい〜」と笑っている。何を見ても面白くて楽しい。特にどんさんがかわいい。まあ、かわいいと言っても38とかそこらの、改めて見なくても普通のおじさんなのだけれど。



と、ここまで書き終えたら6時20分とかで、1時間くらい書いていたのか?と我に返る。久々に日記を書くことができたというのはわりかしいつも通りになってきたということだろうか。5月のゴールデンウィーク明けからひたすらになにも上手くいかない日々が続いていたから勝手にホッとする。最近スピリチュアルなものにハマり始めたのか、マヤ暦だかなんだかのわたしの占いを毎日送ってくる母のLINEを思い出す。どうも、わたしの26歳はかなりのターニングポイントらしい。26歳だったじいちゃんは結婚して母を産み、ばあちゃんは母が小学1年だった頃が26歳で、父は兄が産まれた年、母自身は耐えた1年だったと細かく送ってきてくれていた。今にして思えばみんな方向転換してるなあ、だそうだ。まあ確かにおもしろい。さわちすい?やなんちゃらきまい、だかなんだかそういうのはさすがによく分からないが、わたしも占いはどちらかと言えば好きな方なのでいま自分の身に起こっていることを振り返っても、ああ、たしかにそうかもしれないなあ、と、ぼんやり思ったりもした。

0408 やらなければならないことを続けられず、そういうことがある度「自分は物書きにはなれない」と痛感する

自分の人生は、なにかを「続ける」ということに固執し続けるものであるように思う。皮肉にもそう「続け」てはいるのだけれど、『恥の多い生涯を送ってきました』を言い換えて、『逃げの多い生涯を送ってきました』とでも言おうか。なにかしらのきっかけで始めたはずなのにいつまでも「続け」られずどこかのタイミングで逃げ離れてしまう、そんな人生をわたしはいつまでもどこまでも繰り返し続けている気がする。人間なんて生きてるだけできっとえらいはずだけれど、生きているだけで報われるわけではてんでない。





新しい仕事を初めたのが11月で、12、1、2、3、と終え、最近また月をまたいで4月になった。12ヶ月の中で一番好きな月、4月。また歳を取るこの月。そして人との出会いと別れの季節だ。最近も1人、寂しいながらも辞めていき、まあそういう時期だよな、桜もいつかは散るんだし、そういうものだ、としみじみセンチメンタルに思っている。そんななかでの5ヶ月。早い。早すぎる。今の仕事を始めてから初めてタスク管理をやっているのだけれど4つか5つしかこなしてないんじゃ?と思うくらい、早い。こんなんじゃ1年なんてもうすぐ来るんだろうな、という気がする。ただ、それと同時に未だに「自分はここに居ていいのか」とたまに思ってしまったりもしていた。わたしは“自分が好き”だしちゃんと自己肯定感だって持ってるし、多分人並みに、むしろ高い方だと思うし、だけど、「自分ではない誰かって、全員すごいんだよな」と思い、独りでに落ち込む、そんなことが本当によくある。この世に自分より仕事ができない人なんてどこにも居なくて、自分より職場に迷惑をかける人なんていうのも居なくて、自分より能力が低い人間もきっと居るはずなくて、自分がいちばん、どんなことにおいても下っ端で。「仕事ができる」「店長になったらいいのに」と何度言われても、たとえ嬉しくても、たとえそれがもしや本当だとしても、わたしは君たちが一生をかけてでも知り得ないであろう自分自身の全ての事においてのできなさ、不器用さ、不甲斐なさ、弱さ、愚かさ、を、常に感じ、理解し、己をある意味、戒めている。それもかなりのがんじがらめに。





と、つらつら久しぶりに考え耽けつつ一文一文書きながら、「あー、だからわたしって人の悪い所が見えないんだ。見えないっていうか見えないようにしてる?」とふと思った。自分よりあなたは絶対的に秀でてますよ、わたしなんぞがそんなそんな、恐れ多いです〜という心持ちで誰に対してもいるのだろう、ある意味変な才能のような気もしているが、はたしてそれは仕事上において吉なのか、凶、なのか。

人に怒ることがほんとうに滅多になさすぎるのも、ああ、きっと心のどこかで(自分にはこの人に怒る資格なんてないんだよな)と思っているのかもしれない。いや、当たり前に理不尽にめちゃくちゃに肩をぶつけられた、とかなら「は、だる」くらいは思うし言いたくなるが(とこれを書いているこの日、改札を出たらチャラいダサヤンキーになぜか肩をぶつけられ「なんやねん」くらいは大声で言いたかったと思っている、思い続けてるしたぶん次会ってぶつけられそうになったら攻撃(?)しにいくと思う、こちとら関西人やぞなめとんかワレ、つって)(半分本気)(怖)、そうではない、純粋に自分が尊敬できる部分が少しでもある人に対しては、きっと怒ることはない、気がする。気がする、というかたぶんしない。だって自分の方ができてないし、自分の方がダメなことなんてたくさんあるし、自分の方が……ごにょごにょ……と、なんだか闇が深い。闇?というか、陰、というかなんというか……いやそもそもたどり着きたくなかった答えのような気がしてきた。でももう、そう書くとそうのような気がしてしまい、日記を書くといつもなんだか自分を自分で嫌な方向に暴いているようで、まあ、それはそれで面白いし「人間っておもしろいなあ」になるから全然いいのだけれど。

家族を大事にして、“ちゃんとしている人”にわたしは今でもなりたいらしい

母は、親戚にわたしや兄が今、何をしているかを親戚やばあちゃんに聞かれたら、「そんなんいいやん」と返しているらしい。何をしているかを知らず、何も話すことがないから「そんなんいいやん」と返して、話題を終わらせているらしかった。わたしはそれを叔父から聞いて、知らなかった、と素直に思った。わたしはなにも、いや、そもそも知ろうともしていなかった、と過去の自分を瞬時に振り返る。さらに、良い寿司に連れて行ってくれいい感じに酒も回ったらしいその叔父は、「俺はお前がちゃんとしてるとは思われへん。家族を大事にしてないから」と言う。それを聞きながら、それは、それはなんなんだろうか、どうにもこうにもわたしの口から出てきた言葉そのものじゃあないか、とぼんやり思っていた。家族を大事にしている人間は、ちゃんとしている。でも、わたしは家族を大事にしていないから、ちゃんとしていない。わたしの、“不安”だ、と思った。解決法が分かっているのに何もできない“不安”だ、と。寿司は美味しかった。ゆずサワーはあんまり進まなかった。やっぱりもうビール以外はあんまり美味しく感じないらしい。



去年末、母と様々あり散々に多方面へ迷惑をかけた日があった。わりとまだ完全には笑い飛ばせずそうするならあと5年10年はほしい、いまだにだいぶの後悔と罪悪感しかない日なのだけれど、その時、「なにかトラブルに巻き込まれてる?」と聞かれた、そのことは今でもはっきり思い出すことができてしまう。2022年で1番、と言っていいくらい、はっ、とした言葉だった。すみません、とまだ訳を話せずにいたわたしにそう聞いてくれ、でもわたしはそう聞かれる瞬間まで、母とのいろいろが、母とこれまであった色んなこと、母と自分の間に起こっていることが『トラブルである』と認識したことがなかった。それも一度も。一度たりとも、なかった。「トラブルか」と呆気に取られてわたしは呟いていた。トラブルだったのか、そうか、と。




2月になってから、ずっと読みたかったヤマシタトモコの『違国日記』をLINEマンガで読み始めた。電子は嫌いだったはずなのに無料で読めるとあらば読んでしまうのか、と半ば罪悪感も芽生えつつあるが、まあここで無料で読めなくなったら買えばいい、買う気持ちは充分にある、なぜなら本が好きなのだから、と自分で自分に言い訳してみる。そんなことを考えながら左へ、左へ、指を動かして読みながら、日記について話す主人公たちのセリフは、思ったよりスーッと脳内に滑り込んでくるもので。


「日記は 今 書きたいことを書けばいい
書きたくないことは書かなくていい」

「本当のことを書く必要もない」

「書いていて苦しいことをわざわざ書く必要はない」



自分はどこか、日記は“本当のことが書かれている”から好きなんだ、美しいんだ、綺麗なのだ、と思っていた節があった。でも思い返せばわたしだって『書きたいことを書』いていて、『本当のことを書』き切っていなかったりもするし(ウソを書いているとかではなく書きたくないことをしっかり避けて書いている、みたいなニュアンス)、『書いていて苦しいことをわざわざ書』いてたりなんかもしていなくて。傍から見たら苦しんでいるように思えるかもしれない上に書いた話も、たしかにどこか苦しさもあるのかもしれないけれど、そんなに苦しくなかったりする。書くことができている、というのはそういうことだったりするから。



頭につけたワイヤレスのヘッドホンからはお気に入りに追加した曲が順々に流れていて、3日4日前からずっとこの曲順で聞いているなと思い返すも、なにもしない。給料が入ったら大人買いしようか、まだまだ読み返したい言葉が沢山あるような気がする、この本には。そうして今日も無の心で渋谷の人混みにまぎれていく。母のことなどぽっかりと忘れて。