晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

0330

手探りでスマホを探して時間を見る。8時40分。酒に飲んだくれて先輩の家に泊まるのはこれで2度目で、暑さで首には汗がじとっとほんの少し残っていた。酒はほとんど抜けている。ただ、かなり眠い。


生活感のあるその部屋には作家である先輩の仕事用具やいつかの機会に書いたであろうイラストが貼られていたり、置かれていたり、吊るされていたりしていて、自分にとって居心地がいいというのはきっとこういう部屋なんだろうなとボーッとしながら考えたりする。一人暮らしをするならこれくらいごちゃついた部屋に住んだ方がいいんだろうな、自分も。なんて思いながら自分の部屋を頭に浮かべてみてもどう考えたって正反対で、でも別にいい部屋だから、あれはあれでシンプルで、なんて誰にでもなく言い訳をする。


先輩の部屋を出て外に出たら、当たり前だが、明るくてまぶしい。二度目の朝帰りだなとぼんやり思った。吉澤嘉代子の『残ってる』をちょっとだけ聞いて帰路に着く。浮かれたワンピースなんて着ちゃいないのだけれど。

0319

3月19日、多分晴れ。カーテンから覗く朝日が明るいから今日はきっと晴れなんだろうと思う。今日は上手く眠れなかった。2時半くらいまで実家にいて、そこからのそりのそりと自分の部屋に帰ってきたのがたぶん3時くらいで、そこから目が覚めてしまった。5時半とかだった。最近ひどく寂しい気がして、物忘れも、うっかりもなんか多いし、あれ、これってもしかしていろいろキャパオーバーなのかな、脳がバグってる?なんて思うけど時間は止まってくれないから今日という一日がまた来てしまって、ああ、動かなきゃな、なんて思いながら目を開く。体を起こす。カーテンを開ける。眩しい。



YouTubeを久しく開いてインディーズのバンドや前から気になっていたバンドの曲を何曲か聞いた。またスクロールすると星野源の新曲が引っかかったので、それも聞いた。『私』というアコースティック調のその曲は、私が星野源の楽曲の中でいちばん好きな『くだらないの中に』を彷彿とさせるような、和やかで、ありふれた日常風景が目に浮かぶような、でも星野源にしか歌えない・つくれない、すごくいい歌だった。彼はとてもじゃないが苦労人すぎる、という話をどこかで読むか聞くか、何かをした記憶がある。病気になったりで体を悪くしたことがあるだとか、それでも今の今まで音楽活動というものを続けて、やり続けてきていてそして今、私の心を強く揺さぶる曲を、また生み出してくれているだとか。


なにかをやり続けること、その道を歩み続けること、進み続けること。それはその人の努力があってこそのものだから、そういう姿はひどく美しく目に映る。『髪の毛の匂いがパンのよう』よりも好きな歌詞は、この先死ぬまで生まれることはきっとない。そんなことを思いながら、今日は星野源を聴く。今日も星野源という人間は、誰かのあこがれとして、期待を受け、若い女の子にキャーキャー言われ、どこかで歌を、いつもの綺麗な声で、うつくしく歌っていることだろう。

ホワイトデーのお返し

“好き”という気持ちがよく分からない。22年間生きてきて、他人に対して『独り占めしたい』『自分だけのものにしたい』と思えたことも、自分が自覚できている中ではまったくない。「それは嫉妬だよ」だなんて言われても自分の中ではどうもハッキリそうは思えなくて、だってもっと、もっと私が人を好きになったらもっとずっと好きになるはずじゃないか、もっとその人のことでいっぱいいっぱいになると思うんだよ、なんて熱く語ったって何が正解かはわたしに分からなければ誰もわかりはしない。人として尊敬できて、大好きな人たちはたくさんいる。目が合えば嬉しくてつい笑ってしまう人も、もうなかなか会えなくなってしまったからとても会いたくてたまらない人も、会えたならばもう嬉しくて仕方が無いような人も、いる。みんな好きで、みんな会えたら嬉しい。でもそれ以上がない。 ホンモノの“好き”は、きっとこんな軽くてふわふわしているものなんかじゃない、はず。なんて、理想を思い描きすぎなのだろうか。



中学生の頃、男子にバレンタインデーだといってチョコレートを渡したことがある。保育園から一緒、お母さんのこともよく知っている彼はバスケットボール部に入っていて、背も程々に高かった。しゃがれたような声がすごく特徴的で、よくからかわれていたり、それをネタにして皆を笑わせていた印象がある。そんな彼に対して抱いていた気持ちがホンモノの“好き”だったのかと言われるとさすがに覚えていないけれど、でも、3月14日、ホワイトデーにもらったお返しが本当に心の底から嬉しかったことだけはかなり鮮明に覚えている。3色の色ペンだった。家に帰って左手前の引き出しに入れて、何度も眺めていた。何度も眺めたあげく、そろそろ使わなきゃいけないと思って、きっとインクがなくなるまで使い続けたことだろう。これから後にも先にも、あんなに嬉しく思えるプレゼントは、たぶんない。



“好き”という気持ちは相変わらずわからない。でも彼に、あの3色のペンをわたしにくれた彼にいつか偶然どこかで会えたなら、この話をして一緒に笑えたらな、なんてことを思ったりもする。あの時はありがとうって。たぶんね、本当に好きだったんだよ。だからあのお返しもすんごく嬉しかったんだと思うって。だってわたしのためだけに買ってくれたんでしょう?って。そう言えたなら、なんて返ってくるんだろうか。「それはそうだろ」なんて、笑って言ってくれたりするんだろうか。誰かを想って誰かのためだけに選んだものは、きっと、たとえどんな小さなものであろうといつまで経ったってその誰かの心を掴んで離さないものなのだろう。手元にはなくても、こうして記憶にはずっとずっと残っているのだから。

0304

3月4日水曜日、朝から雨。相変わらず何曜日になんのゴミを出せば良いかをきちんと把握していなくて、今日もゴミを出さなかった。ペットボトルは溜まっていないし燃えるゴミは今日じゃないし、プラスチックは金曜日に出す予定だから、うん、今日はない気がする。これをたぶん、毎週3日くらいは繰り返している。相変わらず生活感のあまりない部屋で生活をしているのが手に取るようにわかるようだ。寝て、起きて、ご飯を食べて服を着て、家を出て、仕事が終わればフラフラ帰宅。そういう衣食住の生活をするのもかなり慣れ始めてきていた。でもいまだに机という机がないのでもっぱら書き物は外でするようにしていて、そうなると部屋自体に愛着はほとんど沸かない。本がもっと増えていけば、それはわからないけれど。

0301

久しぶりに日記を書くからかどういう気分で、どういう感じにいつも書いていたかをすっかり忘れてしまった。日記なんだから今日思ったこと感じたことを書けばいいだろうとは思いつつ無駄に前のを読み返してみたりする。相変わらず自分の文章が好きだなと思っただけでなにもわからなかった。


3月になった。昨日は2月29日で、2020年は4年に1度しかないうるう年だったわけだけれど特に何も物珍しいことは無かった。わりと慌てて本当の本当の終電に乗ったら家に着いたのが深夜1時半だったことくらい。あ、この最終の横堤行きに乗ったらこの時間に家に着くんだなと何度も乗ってひたすら歩いて帰っているのにやっと理解した。疲れているからだに冷たい風の吹く静かな夜道はわるくない。お腹が減っていたけど吉野家を完全にスルーした自分のことはたくさん褒めてあげたいとおもう。



3ヶ月があっという間に過ぎて4ヶ月目に突入したバイト先では相変わらず労働時間のことを気にしている暇なんてない。あっという間に1日が終わっていく。いつも時間が足りなくて、余裕もあんまりなくて、その分なにかをおろそかにしてしまっている気がする(し、実際そういうこともわりと多い)。もっと時間がほしいなーと思ってちょっぴり早めに出勤してみたり退勤した後に店内をぶらついて見たりもするけど、それでもやっぱりぜんぜん足りなくて、やりがいというかなんというか、今までやってきたアルバイトとは感じていること考えていることがまったく違うよなとほぼ毎日帰りの電車でいつも考えているほどだ。こんなに自分がやりたいことばかりやらせてもらっていていいのか、と不安になったりするくらいには好きなことばかりやらせてもらっていたりもするし、それで売り上げが伸びていればいいけどたぶん、そんな簡単で単純な話でもない。むずかしい。なにがむずかしいのかもまだちゃんと理解できていないのもわりと悔しい。「趣味じゃないから。仕事だから」先輩の言葉を記憶から引っ張り出して空で呟いてみる。好きなことを仕事にするってなんなんだろうか。好きなことで仕事をするってなんなんだろう。そんなのたくさんたくさん考えた末に今の場所にたどり着いたんだろうに、いざその場所に立ってみてもなお、そんなことを考えているということはよっぽどむずかしい問題なのかもしれない。いつかこの先、自分のそういうずっと大事にしてきた気持ちとなにかもっと複雑で社会的ななにかとでバッサリ折り合いをつけなきゃいけない、そんな日がきてしまったりするんだとしたら。なにもわからずとりあえず目の間のことをこなすことで精一杯な今、言えることは、今はほんとうに本が大好きだということくらいだ。広い店内に溢れる商品の大体の配置を覚えることに必死だった初期の自分がもはや、ものすごく懐かしい昔の話のようにおもえてならない。