晴耕雨読

晴耕雨読

忘れてしまうから残す

意見するということ

地震、かなり酷かったんだなあ、北の方の友人たちは大丈夫かなあ。防災リュックやっぱり作らないと不安だよなあ。ぼんやりそんなことを思いながらツイッターを見ていたら、GACKTさんが愛犬を親しくしていたご夫婦の元へ里子に出す、というある動画がひどくマイナスな方向で話題になっているのがタイムラインに流れてきて、一部始終をなんとなく流し見した。前にもこんなことがあったような気がするなと思い出す。なんの先入観も前情報もなにもなく見たら「お〜いいやん。いいやんか〜」となってしまうある情報や報道が世間的には、と言うか、ツイッターの世界的には?、「なんだそれは!駄目だろう!!!」「絶対にそんなことはしちゃいけない。有り得ない。非人道的だ」と激しく叱責されていたりして、びっくりするということが、あった。ネットの世界の賛否に、どこまで振り回されていいのかが、しんどい。特に今回のGACKTさんの件についてもモヤッとしたことがあったのでメモ程度に残しておく。




まず、GACKTさん(以後彼、と書く)のこの動画に対するもっと深い本心やその行為をしてなにがしたかったのか、お父さんと奥さんはどう思ったのか、それでよかったのか、その後も幸せに暮らせているのか、あの動画だけでそれらはまったく完全に把握はできないな、と思った。だから、見ているこちら側、視聴者的な酌量で決めつけるしかない(決めつけると言うとかなり強い印象を受けるだろうが実際かなり多くの人がそうしているのでそう明記する)。



倫理的な問題、命が関わっている問題というのは白黒つけてしまうのがかなり難しい。否が応でも感情論がそこには含まれてしまうからだ。例でいえば安楽死がいちばん想像するのも意見を持つのも簡単だとおもうが、これに対する白か黒か、は、「患者が殺してほしいと言ったならば医者は手を下していい」のか、「命は尊ぶべきものであるから延命させるべき」なのか、。どちらかを絶対だと、100パーセントそうするべきだと決めてしまうのはあまりにもまだ、議論が足りない。もしかしたら死刑制度の問題にも関わってくるかもしれない。人から命が生まれる、だから人の感情論も大事になる、よって、命というのはひどく難しい存在となってしまう。


そんな命を犬ももちろん持っている。心臓がある。動いている、息をしてご飯を食べ寝て起きて、毎日を生きている。愛犬であり家族であり、かけがえのない尊ぶべき命だ。だからきっとその愛犬を里子に出すという動画内での彼の行動には『命を粗末にした』事実はある。


でも、『命を粗末に"しようとした"』意図は、彼にもご夫婦にも、あったとはあの動画だけでは言いきれないのではと思ってしまったのだ。『命を粗末にした』という決定的な事実は、あの動画を見て誰が決めるのだろう、と。犬が、もしかなりのストレスで3日以内に体に異変を起こしてしまったりしたらそれはきっと『命を粗末にした』ということになるんだろうが、彼も、ご夫婦も、犬も、幸せに暮らせるのならそれは『命を粗末にした』と、言ってしまっていいのだろうか、と。本人たちの間にしか通じえない親交や本人たちの感情、想い、考え、感じたこと、それらを無視して『命を粗末にした』と、言い切ってしまうのはあまりにも苦しいのではないだろうか?それがまず、モヤッとしたひとつのポイントだ。




この世の中には、良かれと思ってやったことが思わぬ方向から、そして唐突に、ひどく、つよく、非難されることはほんとうによくある。「そんなつもりじゃなかったんです」「実際はこのような状況でした」とこと細かく説明し、釈明をしても収まらないその大きな渦のようなものは、時間をかけることでしか、解消できなかったりする。


彼の行動を非難し難色を示す言葉を吐き続ける人達は、何がしたいんだろうか。彼の、GACKTさんの考え方を正したいのか、それとも同じ過ちをもう二度とこの世の誰も、起こさないように問題定義してくれているのか。



こんなことを言うと元も子もないだろうことをもうこの際だから言ってしまうが、芸能人という立ち位置を持ってして生活している人たちはさぞ生きづらいだろうなとおもう。影響力があるんだからと言って仕事を任され責任を果たし、持て囃され持ち上げられ、笑い、泣き、時には嘘もつき、影響力があるんだからと言って発言には気をつけろと言われ、行動も制限され、プライバシーを侵害されることもあるし、このように瞬く間に、しかもおそらく本人も思ってもみないタイミングで炎上したりもする。




これが友人同士だったら、わざわざネットに吊し上げて「これはダメでしょ。一発アウト」だなんだと言われ一瞬で拡散されて非難轟々賛否両論…… なんてことには、おそらくならない。せいぜい「え、なにそれ引くわその考え…」ということを伝えてしまって仲違いしてしまうか議論できる人なら考えを共有するか、もしくはもはやそれすらも言わずゆるやかに友人関係を続けていくか(もしくはいさぎよく友人関係を絶つ、か……)、だろう。


SNSを使って意見するというのは一見簡単そうに見えるし実際簡単に指一本でできてしまうし、手っ取り早く情報も仕入れられるし便利だが、結局そんな遠い他人のことで議論しマイナスな気分を味わってしまうくらいなら、近くの友人や大切なあの人その人が(わたしはいやだな〜)と思っている感覚を共に持ち合わせていてほしい、持ち合わせていてくれるとうれしい、ってぼんやり考えたりする方がいいんじゃないかと思う。



まあつまり、友人が間違ったことをしていたらしっかり意見する、そしてそれを議論し合える関係で会ったらいいなという、そういう話、でした。なんだろうなあ、ムム?と思っても芸能人に対して意見したりはしないなあ、自分は。だって友達じゃないし。ましてやタメ語で引用リツイートするとかこわいし。あ、いや別にあなたの事を言ってる訳じゃないんですけどね、別に引用リツイートツイッターの正式に使用が認められているものなのであれこれ言いたい訳じゃなく、個人的にね。こわいなあって、知らない人から急にタメ語で来られたら。



と、いうことで。もうかーなーり、文字数書いたのでこれはこれで面白いし、このまま、残しておきます。まあでもこれもね、きっとどこか遠い他人に対して無駄に意見してるっていうことに、なっちゃうんだろうなあ。